monaho

monahoって、エスペラントで、僧侶の意味なんですって。

あこがれの切れ端

 昨年10月に出した、トランスフォ~マ~のスカワスタ♀本「him」。

booth.pm

 

 pixivで公開していた「錆の海」「No way」「優性」を

 収録しているほか、

 未公開・書き下ろしのお話も5編、入っています。

 

 この本を作るにあたり、当然ながらお話を書き進めていたのですが、

 ま~~~切れっぱしが出ますわな。

 で、中でも最長の書き下ろしが「I admired」。

 これはですねえ……最終的に8万字くらいあるんですけど、

 途中で全ボツが入り、

 なんだかんで書き終わるまで4ヶ月くらいかかっていました。

 え? 4ヶ月? 意外と短いな…

 

 で、

 全ボツの中から、ほんとうにボツになった部分を、

 このへんで公開いたします。

 ボツ部分のため、シーンは飛び飛びです。

 

 8万字のボツ部分のため、2万字あります。

 やっば。

 

 

 いざ。

 

 

 

ーーーーー

 スカイワープは、何においても尊敬すべき兄弟であった。

 彼は幼い頃から勇敢で、物知りで、強かった。みんなで何かを話し合わなくてはならない(鬼ごっこのオニを決めたり、部屋割りを決めたりする)ときは、彼が取り仕切ってくれたし、喧嘩が始まると困った顔をしながらも仲裁してくれた。いつからか「シーカーズ」という名が与えられ、戦場へ出るようになると、やはりスカイワープが皆のひとつ先を行った。こうなると彼が威張っても良さそうなものを、彼は不思議に、偉ぶることがなかった。時々、ちょっと抜けているところもあったからかもしれない。兄弟たちは皆、彼を信頼していた。ナセルもその中のひとりであった。

 どういうわけか、同型機の中で、とりわけナセルは臆病であった。何をするにもワンテンポ遅く、誰に対しても強く出られず、未だに派手な戦場は苦手で、できれば混戦の中に突っ込んでいきたくはない。巡回で敵と遭遇しなかったことを、他のシーカーたちは「暇」と呼ぶが、ナセルは「ほっとした」と表現する。よく言えば温厚、悪く言えば気弱。小さい頃はスタ子にすら泣かされていた。ナセルがよかれと思って、「ごはん落としたよ」とか「抱っこしてあげるよ」とかと申し出ると、スタ子は決まってキッと目を吊り上げ、しらない! いらない! やだ! などとぷんぷん怒り出すのだった。しかも彼女は手が出る。そのうえ加減を知らない。全力でばしばし引っぱたかれると、痛い。そうして仲間内で一番小さな者に、仲間内で一番大きなナセルが泣かされるのだった。図体は一番でかいくせに、ひと一倍ビビり。ナセルのパーソナリティを、誰もが――ナセル自身を含め――そう認めていた。

 スタ子に関しては、ナセルの気弱さがすべての原因、とは言えない(スタ子の気のほうが強すぎるのだ)けれど、ともかくナセルは、スカイワープと自分は色味こそ似ているものの、中身はまるで正反対だと思っていた。スカイワープはやたらびくびくしたりしないし、きりっとしていてクールだ。自分の性格を鑑みると、決して彼のようにはなれなさそうだったが(果たしてナセルは、彼をライバル視したことは一度もなかった)、それで一向に構わなかった。シーカーズで最も強く、そして優しい男のことを、ナセルは心から尊敬していた。

「悪かったな、こんなことに付き合わせて」

 ナセルとスカイワープとの最大の接点は、夜間巡回であった。ナセルは何度も、夜間巡回を彼と共に飛んだ。夜間巡回は、基本的にはスカイワープとホットリンク、ナセルのみが請け負う専門職だった。天地左右の分からなくなる暗闇は、ナセルの不安を最も煽るものではあったが、何年も飛ぶうちに慣れた。昨日まで28階建てだったビルや、新しく折れた鉄塔を避けるのも、レーダーと目視の双方でなんとかなる。それに夜は、昼間とは比べものにならないほどの静けさを湛えている。オートボットも、暗闇には弱いらしい。さらに北回りとなれば、人影は毎回ほとんどゼロだった。この静寂が、ナセルは好きであった。いつものように飛んでいると、スカイワープが呟いた。

 

 *

 

 ナセルはいつも、肝心なときにその場へ居合わせない。

 美味しい酒が偶然回ってきたとき。残り1つのエネルゴンを賭けて勝負が行われるとき。誰かが大怪我をして帰ってきたとき。そんなとき自分は、夜間巡回明けで眠りこけているか、別の仕事が終わらずにもたついているか、のどちらかだ。自分が集まりへ顔を出す頃には、大抵の事の決着はついていて、自分は知らぬ間に貧乏くじを引いている。或いは他の者たちと感情や情報を同時にはシェアできず、ひとり遅れて知らせを聞き、驚いたり悲しんだりする。なぜかそういう役回りなのだった。

 たとえば他の者に、自分のぶんのエネルゴンを横取りされていたとしても、ナセルがそのことに気づくのはやはり、すべて横取りされてしまったあと、なのである。

「あっ……それ……」

「あ、お前のか」

 スカイワープがアイ・センサを丸く光らせた。驚きと、あっさりした謝罪のいろだ。立ち上がって慌てふためいたりしないのは、彼のパーソナリティであるし、さらには彼の肩に寄りかかっている者がいるから、でもある。スカイワープが空気を多分に含んだ薄い小声で話しているのは、間違いなく後者の影響だ。彼らの前のテーブルには、空になった皿。夜間巡回に出る前、ナセルが食べ損ねて、帰投後の楽しみにと取っていたエネルゴン――が、乗っていたはず、の皿である。

「お疲れ。悪い。気がついたら9割食われてて」

「あー……。そう、なんだあ……」

 ディセプティコンのエネルゴン配給は、年々少なくなっている。最前線に立つシーカーズは、かつては他の部隊よりも多くエネルゴンを得ることができていたが、今やその差はなくなってしまった。しかも、個々の必要エネルギー量に応じた相対配給ですらなくなりかけている。シーカーの中でも大柄なナセル(当然他の者よりも必要エネルギー量が多い)にとっては辛い現実であった。今の配給量では、正直足りない。けれど、これっぽっちでも補給しなければ腹が減る。腹が減るのだ。たとえ皿ひとつぶん、そこの皿に乗っていたくらいのエネルゴンだったとしても。

 他の者であれば、スカイワープたちに詰め寄っていたかもしれない。ナセルだって本当は、それ俺のだったのに、なんで残りの1割を止めてくれなかったんだよ、と文句を言ったって構わないはずだ。が、ナセルがそうしないのは、それが彼のパーソナリティであるし、エネルゴン泥棒の張本人――スカイワープの肩を占領している張本人でもある――スタ子が、あまりに心地よさそうに眠っているから、でもあった。彼女の肩が微かに上下する。顔は伏せられているから、表情こそ窺えないが、熟睡しているようだった。そうしてぐっすり眠るスタ子を見ていると――なんだか、まあしょうがないか、と思えてくるのだった。きっとシーカーズはみんなそうだ。エネルゴンは、まあ、一晩くらい抜かしたって、まあ、うん、たぶん大丈夫だ。明日の朝、食いっぱぐれなければいいだけだし。エネルゴンがない、と分かると、空腹感が急に増した気もするが、……気のせいだ。うん。気のせい。そういうことにして。

「……よく寝てるねえ、スタ子」

 ナセルがしみじみと言うと、スカイワープはちょっと笑って、かたわらのスタ子に目を落とした。ナセルとスカイワープが(互いに小声とはいえ)すぐそばで話をしているのに、彼女は微動だにしなかった。やはり熟睡しているようである。

「疲れちゃったかな。最近、なんか毎日忙しかったもんね」

「うん。……手のこともあるしな」

「あ」

 思わずそう呟いてしまってから、ナセルは言葉に詰まった。ちょっとあからさまに反応しすぎてしまった。

 スタ子は一昨日、腕を斬り落とされた。

 オートボットを見つけて、銃を向けていたのだという。ナセルはまたしても、その場には居合わせなかった(別ルートで巡回に出ていた)から、サンダークラッカーから聞いた限りではあるが――スタ子たちは巡回中、オートボットを見つけて処刑しようとした。するとジェットファイアーが、突如、スタ子の腕を斬り落としたのだそうだ。勝手をするな、とか、そんなふうに言われたのだと聞いた。帰投後、ホットリンクに腕を修復させながら、スタ子は大声でずっと文句を言っていた。すっぱり斬られた腕は、ナセルも見た。ナセルはスタ子が可哀想で堪らなかったし、またジェットファイアーの言動を心から不思議に思った。敵を見つけて銃で撃つことの、どこが「勝手」なのだろう? その疑問をサンダークラッカーにそっと問うたが、サンダークラッカーは薄く鼻を鳴らしただけだった。

 スカイワープの言う「手のこと」とは、この事件だ。幸い彼女の腕は、元通りに修理されているが、気軽に触れていい話題ではない気がする。その瞬間【・・・・】に居合わせなかった自分なら尚更。ナセルが次の言葉に迷っていると、スカイワープに呼びかけられた。

「棚の、どこだったかな……、どっかにまだ残ってたと思うぜ。食えよ」

「えっ、ほんと」

 降って沸いたエネルゴンの話に、またしてもあからさまに反応してしまった。スカイワープが薄く笑った。腹減ってたんだな、とからかわれれば、さすがに照れくさく、ナセルは背を縮こませながらエネルゴンを漁った。

 スカイワープは、何においても尊敬すべき兄弟であった。

 シーカーズの中で、最も強くて上手いのはスカイワープだった。思い返してみると、幼い頃から、彼は頭ひとつ抜きん出ていた気がする。皆が飛べるようになってから始まった模擬戦では、いつも彼が一番だったし、射撃で真っ先にターゲットをぶっ壊したのもスカイワープだったし、難しいターンのお手本を見せてくれていたのも彼だった。ナセルは幾度となく、スカイワープからアドバイスを受けた。旋回のときは思い切ってもう少し速度を落とすこと。撃つときに力が入りすぎていること。ビビりすぎて無駄撃ちしないようにすること。

 特に最後の、ビビりすぎるな、というのは、他の兄弟たちからも指摘(というか、揶揄)されることであった。どういうわけか、同型機の中で、とりわけナセルは臆病であった。未だに派手な戦場は苦手で、できれば混戦の中に突っ込んでいきたくはないし、敵の大軍(最近ではあまり見ないが)を前にしてもテンションは上がらない。巡回で敵と遭遇しなかったことを、他のシーカーたちは「暇」と呼ぶが、ナセルは「ほっとした」と表現する。皆が敬遠する夜間巡回(夜は見通しが悪く、事故が起きやすい)を飛ぶことができているのは、機体が暗いことに加え、昼間に比べて敵との遭遇率が低いから、というのも密かな理由であった。シーカーズで一番図体がでかいのに、ひと一倍臆病で気弱。ナセルのパーソナリティを、自他共にそう認めている。

 そんなわけだから、自分はスカイワープとは対照的なのだ。色味こそ似ているものの、片やシーカーズのエース、片や体ばかり大きなビビり。シーカーのくせになんと軟弱な、と、スカイワープからは見限られてもおかしくなかった。けれどスカイワープは、前述のように、ナセルによくアドバイスをくれたし、ナセルを対等に扱ってくれた。ビビって無駄撃ちしてしまうなら(そしてそのビビりを克服できそうにないなら)、弾を多く積むか、或いは攻撃範囲の広い爆薬を積んだらどうだ? と提案してくれたのもスカイワープであった。それまでナセルは、皆と同じミサイルを皆と同じ量だけ積んで、そして敵を見つけるや否や、皆より早いタイミングで皆より多くのミサイルを撃ってしまっていた。臆病がゆえである。

「でも俺だけ別のミサイル持ってたら、変に思われないかな」

「思われねえよ。むしろ、お前が切り札になる」

 いつものシーカーが来たと思わせておいて、そのシーカーが見たことない爆弾を落としてみろ。オートボットはパニックになるぞ。

 果たしてスカイワープの提案は、ナセルにぴったりであった。これなら一発撃つだけでかなり広い範囲を攻撃できる。おかげで敵に接近せずに済む。少なくとも戦場においては気が楽になった。帰投後、喜び勇んでスカイワープに礼を言いに行くと、「お前、ほんと容赦ねえよな」と笑われた。

 ナセルにとって、スカイワープはとても輝かしかった。あれだけ強いのも、あれだけ速いのも、あれだけ冷静でいられるのも、生まれ持った気質とトレーニングの成果だ。ナセルとて自らを鍛えているつもりだが、スカイワープには到底追いつけそうになかった。そこで悔しいと思えば、負けん気を発揮すれば、もう少し彼に近づくことができたかもしれないが――スカイワープは尊敬の対象でこそあれ、ライバルや嫉妬の的ではなかった。彼を打ち負かしたいとか、越えたいとか、そうは思わない。ただ純粋に、スカイワープはすごいなあ、と思うばかりなのである。同じ機体に生まれて、この差はなんだろう。

 彼が輝かしいのは、戦場においてだけではない。エネルゴンの残りを見つけ、早速かじりつきながら、ナセルはスカイワープを振り向いた。相変わらず、スタ子が彼の肩で眠っている。スカイワープは目を閉じていた。彼がややずり落ちて座っているのは、スタ子に肩の高さを合わせるためだ。今夜はいつからその体勢だったのか分からないが、ああして長いこと座っているのは(そして、肩を貸し続けるのは)しんどいだろうに――、いつ見ても、そうしてあげている。夜間巡回を飛んだあとでも、厳戒態勢明けでも、スカイワープは、スタ子に優しい。

「……よく寝てるね、スタ子」

 スカイワープが口許を緩めた。さっきも聞いたよ、と囁きが返る。スタ子は身じろぎひとつしない。

「安心してるんだね」

「どうだかな」スカイワープは照れたように笑った。「ちょうどいい枕、としか思われてないんじゃねえかな」

「そんなことないよ。スタ子は他のひとには、そんなことしないよ」

 スカイワープがもうひとつ、照れくさそうに微笑んだ。その表情は、戦場にいるときとは打って変わって柔和であった。スタ子が、んん、と体をもぞもぞさせた。スカイワープがすぐそばのスタ子へ顔を向ける。

 スタ子が眠っていて、スカイワープが彼女を見つめている。この光景が、ナセルは好きだった。いつものふたりも頼もしくて(年下のスタ子を頼もしいと感じるのは情けない、と自覚はしている)好ましいが、「いつも」をちょっと離れたふたりは、どこかあどけなく、ひたすらに微笑ましいのだった。ここには爆弾も銃撃もない。ただ密やかで、優しくて、温かな空気。戦争が終わったあと、或いは戦争のない世界には、きっとこんな日が続くのだろうと思う。スカイワープが笑った気配がした。こんな笑い方を、彼は他ではしない。

 優しいね、と言いかけて、やめた。冷やかしに聞こえてしまいそうだったし、これ以上彼らのあいだに割って入るべきではないと思った。エネルゴンを適当に流し込み、ナセルはそうっと部屋をあとにした。

 

 *

 

 これまでの仲間の死と、今回とでは、違う。殺されたのはスカイワープだ。最も上手く、強く、実力のあったシーカー。彼は間違いなく、この部隊の中心にいた。シーカーズに在籍していた者だけでなく、一般隊員【ジェットロン】もその名を知っていたし、メガトロン始め幹部の者たちだって彼を認識していた。その彼が死んだのだ。上官の裏切りによって殺されたのだ。いちシーカーが墜ちたのとはわけが違う。

 詳しいことはまだ分からない。昨日は誰も、起こったことを詳細に説明してくれる者はいなかった。何があったのか、基地にいたナセルが知り得るはずがない。ナセルはいつも、肝心なときにその場へ居合わせない。またしてもそうだったのだ。これまでで最も肝心な、スカイワープが殺されたそのときにも、……思い浮かべたその文言に、やられた。靄が一層濃くなり、息まで詰まるようだった。こんなの、夢であってはくれないだろうか。

 ナセルはのろのろベッドを降りて、身支度もそこそこに大部屋へ向かった。あくびを噛み殺す。首が痛い。大部屋まであと数歩、というところまで来て、ふと足が止まった。皆はもう起きているだろうか。あのドアの向こうが、混乱に満ちた重い空気だったなら、自分はどうすればよいだろう。誰になにを言って、どんな顔をしていればよいだろう。もし、誰かがスカイワープの死の詳細を、暗然と語っていたら? ――吸い込んだ息が震えた。彼が撃たれる様がちらついた。今、その情景を説明されても、受け止められる自信がない。無理だ。兄弟の死に様など聞けたものではない。では何があったのか知らないままでよいかというと、それはそれで、怖かった。ただ事ではないのだ。スカイワープが殺され、ジェットファイアーが裏切った。些事なはずがあるまい。その、些事ではない、ことがどんなことだったかを想像すると、やはり逃げ出したくなった。いっそ自室に戻ろうか。いや、起きていかなければ、変に心配を掛けるかもしれない。でも。だけど。……気持ちが一進一退を繰り返し、ナセル自身は一歩も動けずにいると、後ろから声を掛けられた。肩が震えた。サンダークラッカーであった。

「……悪い。早いな」サンダークラッカーは僅かに鼻で笑っただけだった。ナセルの驚き方に、彼はもう慣れている。「午前巡回か?」

「……いや、夜なんだけど、目が覚めちゃって」

 言い始めは喉が開かなかった。サンダークラッカーは「そうか」と薄く笑った。彼はナセルの翼をぽんと叩いて、ナセルを追い越し、大部屋に入っていく。ナセルは吸い寄せられるようにサンダークラッカーの背に続いた。

「でさあ、……あれ? ナセル」

 人影はまだまばらであった。ビットストリームとレッドウイングがマグカップ片手に、意外そうな顔をしてみせた。

「おはよお」ビットストリームが可笑しそうに微笑む。「珍しい。早起きじゃん」

「あ……、おはよう」ナセルも彼に合わせて笑った。「なんか、目ぇ覚めちゃって」

「雷でも落ちるんじゃねえか」レッドウイングがにやりとした。

「アハ! あるかも」

「えええ、やだよ、もう……」

 ナセルは背を縮めてふたりを通り過ぎた。ソファにはイオンストームが行儀よく座っている。彼にも声を掛けると、イオンストームは僅かに驚きの(先程のふたりと同じ)いろを浮かべて、随分早いね、と笑った。

「目が覚めちゃったから」

「ふうん。消耗少ないの?」

「いや、別に変わってないと思うんだけど」

「じゃあバッテリーでも調子悪い? どっか接触不良とか」

「うーん」エネルゴンを探しているとまたあくびが出た。「多分そういうんじゃないと思うなあ」

「そう? ……」

 適当なエネルゴンを見繕って振り返ると、イオンストームはもう、自身の端末に目を落としていた。日課の論文漁りだろう。わざわざ邪魔することはない。

 ――やがて足音がいくつか近づいてきて、大部屋に他の面々も集まってきた。おはよう。だりい。眠い。あれ、ナセル? なんで? なんか目が覚めちゃって。同じことを訊かれるたびに同じことを答える。すると相手は決まって、珍しいなあ、と笑う。それから別の話題になって、そこにナセルは混じったり混じらなかったりする。

「おはよう諸君!」

 最後にやって来たのはスタ子だった。

 彼女は高らかに声を上げると、いつものようにひとりで喋りながら――「今日は忙しくなるぜ、巡回が終わったらアレだ、あの、なんとかって会議? に出なきゃいけないんだもんなあ」などと――自分のぶんのエネルゴンをさっさと準備して、早速ぱくついた。口をもごもごさせながら、サンダークラッカーと何やらデータパッドを覗きあい、指定席のソファの長辺に腰を下ろし、テーブルの上の埃か何かを手で払ってやって、それから彼女はナセルに気づいたらしかった。ぱっと目が合った。スタ子はやはり口をもごもごさせたまま、

「なんで?」

 というようなことを言って首を傾げた。周りにいた皆が苦笑する。ナセル自身も諦め気味に笑いながら、

「なんか、早くに目が覚めちゃったんだよね」

 と、何度目かの答えを返した。スタ子は笑った。ふうん、ふふふ、と笑ってから、食べていたものをごくんと飲み込んで、

「やめろよ。おれが飛んでるときに雷落ちたらどうすんだよ」

 なんてナセルを指さすものだから、ナセルも他の連中も、これには堪えきれずに声を上げて笑ってしまった。

 まあいつも通り適当に回ってくるように、との、指揮官【・・・】からの命令を受け、昼間巡回のメンバーは支度のできた者から部屋を出て行った。サンダークラッカー、アシッドストームがスタ子の先導で出発し、ビットストリームがイオンストームを急かし、レッドウイングがサンストームとノヴァストームの後ろをついていく。最後尾のレッドウイングは、部屋を出る瞬間、片手を上げて挨拶してくれた。それに応えて手を振る。

「気をつけてね」

 扉が閉まる。ナセルは誰にも聞こえないように、息を吐いた。

 手を下ろすと力が抜けた。口角が、思っていたよりもどんどん下がっていって、ああ、自分は今、とても笑顔でいたのだ、と気づかされた。そして今はきっと、見苦しくも沈んだ表情をしているのだろう。自然と肩まで降りた。視線も落ちていく。

 違和感と罪悪感が打ち寄せてきた。

 全員、いつも通りであった。これまでと変わらない朝。これまでと変わらない会話。エネルゴンを摂り、あちこち痛いと愚痴をこぼし、可笑しければ笑い、だらだらと出撃する。皆、これまでと同じだ。何もかも。こんなに体制が変わったのに。「指揮官」が指す相手が変わり、ずっと一緒にやってきた兄弟がいなくなり、それなのに、皆、何事もなかったように【・・・・・・・・・・】食べ、話し、笑い、飛んでいく。

 或いは時間が経てば、彼らの態度も違うかと思った。しかし巡回から戻ってきたあとも、再び午後の巡回に出るときも、夕方に帰投してからも、皆の様子はいつもと変わらなかった。ナセルは彼らが帰ってくる時分になると、今度こそ誰かが沈痛な面持ちでスカイワープの話を持ち出すのではないかと怯えたが、杞憂に終わった。そのうち夜間巡回の時間になり、ナセルは自室へ戻って支度を始めた。そして泣きそうになった。

 考えてみれば、これまでに幾名ものシーカーズ(または一般隊員【ジェットロン】)の仲間が墜ちている。しかし日々は一向に変化しなかった。その繰り返しなのだ。今回のことも、これまでに何度もあった出来事のなかのひとつ。――皆が一斉に、そう割り切ってみせたのか? 自分だけ置き去りにされたのだろうか。

 もしかしたら彼らは、スカイワープが殺されたそのときに、もう彼のことは口に出すまいと話し合ったのかもしれない。しかし自分はその話を知らないし、もっと言えば、昨日、スカイワープに何が起きて、なぜジェットファイアーが裏切って、皆がどうやってその事件のことを知ったのかすら、知らないままだ。スカイワープが殺され、スタ子が指揮官になったのだ、と、ただ結末を聞いただけ。現実味がなかった。

 ナセルはふと、自分以外の者には何事も起きなかったのではないかと空想した。そんなことはないと現実を思い出した。それがどうしても現実であることに打ちのめされた。しかし態度には出さないように努めた。だって、誰もそんな素振りは見せていないのだ。いかに悲観的な性格だとはいえ、大勢が楽しげにしている中で、ひとりしょぼくれるのはよくないと分かっている。分かってはいるから、なんとか皆に合わせるのだが――皆があまりにも自然に、これまで通りに生活しているのが、ナセルには不思議でならなかった。それで、もしかすると皆には何事も起きなかったのではないか、と空想し、そんなことはないのだと現実に立ち返り、打ちのめされる。延々その繰り返しであった。

「悲しくないのかな」

 スカイワープがいなくなったのに。

 口ごもると、なんだか芝居を打っているようで嫌気がさした。そんなはずはないのだ。悲しくないわけがない。そうと信じているつもりだが、自信がなかった。みんなは悲しくないんだ、という意地悪な考えが思い浮かぶのも嫌だった。このもやもやした気持ちを、どこへぶつけたらよいのか分からず、またどこかへぶつけていいものかどうかも分からず、ナセルはまた深く息を吐いた。

 それでも仕事はやってくる。

 今夜は2つのロッテが出ている。ナセルたちの担当は、旧市街地、北。ナセルはふたりの一般隊員【ジェットロン】を伴って飛んでいた。航空部隊の面々は、徐々に夜間飛行に慣れてきたようで、低く突っ込みすぎたり、無茶な曲芸飛行をしようと試みたりする(かつては度胸試しなどと言って、対空防御まみれのビルの隙間へ入り込んでいく者もあった。全員墜とされたが)ことも、もう少なくなった。このへんで解散、と声を掛けても、特に文句なく周囲の捜索へ向かってくれる。ホットリンクとスカイワープの鍛え方がよほどよかったらしい。そういえばホットリンクが、最初っからちょっとスパルタでいかないとナメられる、とか言って、シミュレータの難度を上げっぱなしにしていたっけ。思い出すと笑えた。それから悲しくなった。

 ナセルはサーチライトでくまなく周囲をスキャンし、近くに誰もいないことを確かめてから、地面に降りて捜索を開始した。このあたりは敵も味方もほとんどおらず、正直定期的な捜索の必要もないのではと思うが、ナセルはこの静けさを気に入っていた。このあいだまではセントラル・パークの東のほうも静かな場所だったのだが、その近くにある旧スペースブリッジ周辺でオートボットが動いているらしい。夜、向こうにわざわざ降り立つのは危険だ。その点この地域は、昔から変わらず、誰の影もない。毎回びっくりしてしまうのは、高く積み上がっている分厚い瓦礫くらいだ。暗い中であれを目にすると、そこに誰かいるのだと思ってしまう。互いに寄りかかっている、あの2枚の分厚い瓦礫【・・】の正体を、ナセルは知っている。知っているのに、毎回びくっとしてしまうのだった。あれは、扉だ。教えてくれたのはスカイワープだった。

「お前は口堅いだろうから」

 

 *

 

 女の声がして驚いたのも、覚えている。果たして室内には女がいた。初めましての方ね、などと話しかけられたのだが、ナセルはそれどころではなく、曖昧に頷いてスカイワープを小突いた。まさか今の子に会いに来た、なんて言わないよね。たった今、怪しくないって言ったじゃないか。ここはなんなの。あれこれ思うことはあったが、思うことがありすぎて形にはならなかった。スカイワープには怪訝な顔をされた。

 そうこうしているうちに、奇妙なリズムの足音が聞こえて――奥から現れた者に、ナセルは今度こそ、この場を逃げ出しそうになった。死んだはずの者【・・・・・・・】を前にして、声など出るはずもない。ひたすらに口をはくはくさせていると、スカイワープにもドレッドウイングにも、笑われた。

 ドレッドウイングの店には、そのあとスカイワープと一緒に2、3回訪れたが、入ったのはあの日が初めてだった。かつては共にシーカーズに所属していた、ドレッドウイング。錆の海調査で墜ちたはずの彼は、運良く生き延びていたのだ。驚きすぎて上手く話せないナセルに、ドレッドウイングは苦笑しながら説明してくれた。翼が欠け、脚も錆び付いて動かないというのが痛々しくはあったが、生存者がいたのは喜ばしいことであった。錆の海では多くの仲間が墜ちた。結局、あの海を抜けるには、飛ぶのではなく地面で踏ん張って耐えればよかった――3度目の調査でようやく分かったことだ――というのは、犠牲者にとってはあまりに皮肉な結果だった。

「地図は完成したんだろう? 活用してるのか?」

「誰ひとり使ってねえよ」

 スカイワープが鼻で笑うと、ドレッドウイングも「だろうな」と笑った。ドレッドウイングが笑うところを、ナセルは初めて見たかもしれなかった。もう飛べないという彼は、ここで物々交換の店を営んで暮らしているのだという。繁盛、という言葉からは程遠いように感じたが、彼の表情を見る限り、そういう頓着はないらしかった。それがなんだか嬉しく思えて、よかったね、とだけ、言えた。スカイワープも「そうだよな」と頷いてくれた。ドレッドウイングは、面映ゆそうに肩を竦めた。

 滞在時間こそ短かったものの、あれはよい時間だった。帰りしなにスカイワープが、

「惚れたひとと暮らすってのは、どんな感じだろうな」

 と呟いた。いいよな、とも言った気がする。ナセルは上手く答えられなかった。答えを知らなかったのだ。そうだねえ、などと調子を合わせて、スカイワープの斜め後ろを飛んでいた。惚れたひと、という響きが、そしてそれをスカイワープが口にしたということが、妙にむずがゆかった。同時にささやかな不安も抱いた。そんな暮らしをしてみたいの? と訊いてみたかったが、話題はすぐに仕事のことへ移ってしまった。――帰投してみるとスタ子が起きていた。おなか空いたんだけど、とぶっきらぼうに訊くスタ子に、スカイワープは呆れたように破顔した。彼の言う、ひと、が誰を指すのか、その日初めて、はっきり想像がついた。

 ナセルは扉【・】を遠くに見つめながら、手頃な瓦礫に腰を下ろした。ここに来るとどうしても、あのときのことを思い出す。溜め息ばかりが口をついた。楽しかったはずの記憶をなぞると、余計に現状が思い知らされるようであった。スカイワープは、あのとき生きていた。その彼が今は、この世に存在していない。こんな日が来ることを、あの日は誰ひとり、想像すらしていなかった。あの日だけではない。つい昨日まで、誰ひとり。

 ――突然入った通信にびくっとした。ナセルは反射で立ち上がってしまってから、慌てて返事をした。

『こっちは異常なしです』

「あっ、はい」そこでホットリンクの言葉を思い出す。「了解。まあ、誰もいないよな、ここは」

『こっちも何もナシです』別の航空隊員【ジェットロン】からも通信だ。『引き上げましょうや』

「了解。……じゃあ、まあ、戻ろうか。いつも通り大聖堂の上を通って――」

 切り上げようか、と言いかけたところで物音がした。

 ナセルは即座にブラスターを構えてサーチライトを照射した。誰かがいる。瓦礫の影、800メートル前方。「先に行っててくれ」と小声でロッテに呼びかけ、通信を切った。オートボット反応はないがカモフラージュかもしれない。銃の安全装置を外す。

「誰だ!」

 強く呼びかけると、誰か【・・】が動いたのが、サーチライトの生体反応で分かった。ナセルは距離を保ったまま、もうひとつ呼びかけた。

「武器を捨てて出てこい。お、お前のことは、今すぐここからでも撃てる。死にたくなければ、出てこい」

 ナセルのブラスターは、前述の“ビビり対策”で、捕捉範囲が広い。今もばっちり影の真ん中に照準が合っている。その影が動いた。急に爆弾を投げ込まれはしないだろうか? 思わず手元がぶれそうになるが、なんとか堪え、頭を狙い続ける。生体反応の影が立ち上がり、二歩進み――それ【・・】が姿を現わした。

 サーチライトが即座に彼をスキャンした。名前:不明。IDは出てこない。軍属ではない、ということだ。友軍でも敵でもないのであれば、まあ、殺さなくてもよいかもしれない。背丈はナセルよりも小さく、バリケードくらいだろうか。その彼は従順に両手を上げ、怯えたように肩を震わせていた。……不思議なもので、目の前の者が自分より怯えた様子だと、自分の怯えが少しばかり引っ込むものである。ナセルはちょっと強気になって、ライトを消し、やや距離を詰めた。すると彼がますますぎくりとする。これは、自分が主導権を握れるのではないか、とナセルが思ったところで――それはそれで困るなあ、と思ったのが悪かったのかもしれない――彼が急に、

「あんた、ディセプティコンか?」

 と声を上げた。

「えっ?」思わず間抜けに訊き返してしまった。急なことが起きると、こうやって間抜けな反応しかできないのが情けない。「あっ、いや、そうだけど……」

「頼む!」ナセルの言葉尻に被せて、彼が大声で言った。「エネルゴンを、分けてくれないか」

「……は?」

「俺はあんたの敵じゃない。ちょっとでいいんだ。少しだけでいいから、頼む、エネルゴンを……」

 彼は必死であった。ナセルは強い違和感を覚えた。ディセプティコンに銃で狙われていて、たったひとりで武装もないまま、それでどうしてこんな頼み事ができるだろう。ここにいるのが自分でなければ、彼にここまで話させるだろうか。いや、初めに「エネルゴンを分けてくれ」と言われたときに、多分さっさと撃ち殺している。

 思考に気を取られ、ナセルは黙ったままでいた。その沈黙をどう取ったのか、彼は震えた声で、

「い、妹が弱ってて……」

 と続けた。

「妹が弱ってて、もう何日も食ってないんだ。あのままじゃ、死んじまう……」

 だから頼む、頼む。青年は何度もそう口にした。その姿は哀れであった。民間の者には、軍からの配給は当然ないし、安定したエネルゴン供給の道もない。あらゆる店はもう営業していない上に、市民向けのシェルターだってとっくに破壊されている。そんな中を誰かと生きていくのは大変だろう。一瞬で殺されてしまうかもしれないと分かっていても、軍属の者相手に、物乞いをせねばならないほどなのだ。相当の勇気が、彼を突き動かしている。

 妹のために、というのも、ナセルには理解できた。たとえば自分が彼と同じ立場で、かつスタ子や他の兄弟と一緒に暮らしていたとして、スタ子が死にそうなほど弱っていたら? 自分も他の兄弟と一緒になって、なんとかしてエネルゴンを探そうとするだろう。いつ見つかるかも分からないエネルゴンを、いつ殺されてもおかしくないと怯えながら。――その先頭に、きっと立つだろう男のことを考えた。きっと一番必死になるだろう男のことを考えた。目の前のこの青年よりも、もっと切羽詰まって、もっと真剣に妹を心配して、けれど決して取り乱したりはしないで、現実に立ち向かうだろう。その彼は死に、名も知らぬこの青年は生きている。惚れたひとと暮らすってのはどんな感じだろうな、と呟いた、スカイワープの穏やかな声音が思い出された。

「……そんな話で、エネルゴンを貰えると、本気で思ってるのか?」

 ナセルは銃を降ろした。彼に同情は、できる。だが同情しきる【・・・】ことは、今のナセルにはできなかった。

「悪いけど、こっちにも色々あって。……俺の兄弟は、補給なんかできないうちに死んだんだ。あいつは死んだのに、見ず知らずのひとを生かすために、エネルゴンは渡せない」

 青年の表情が、みるみる曇っていくのが、ここからでも見て取れた。ナセルはそれを冷ややかな気持ちで見ていた。申し出は受け入れられるものだ、と信じていたらしい彼の様子を、愚かだと思った。甘すぎる。物事が皆、弱者に寄り添う形になっているとでも? 彼より妹を思っていた男が殺されたのに、この青年とその妹には救われる権利があるのか? そんな道理は通るまい。彼の申し出を断ったことによって、彼の妹に明日は来ないかもしれない。そこまで想像はついたが、やはり、彼への同情心に傾く気力は湧かなかった。身内の死で手一杯だ。

 青年は力なく腕を降ろした。微かに溜め息が聞こえた。ナセルはブラスターを肩に戻し、この場を去ろうと――したときに、

「あんたと同じ型の奴は、親切だと思ってたんだけどな」

 彼がそう呟いた。

 シーカーを、知っているのか。ナセルは思わず足を止めた。その瞬間に背中に激痛が走った。体が動かない。足から力が抜けてその場に倒れ込んだ。勝手に呻き声が漏れ出る。全身が痺れる。意識まで遠のいた。エラーメッセージが次々浮かぶアイ・モニタに、誰かの足が映った。にいに、やっぱりこの作戦じゃもう通じないんじゃない? 意識が完全にシャットアウトする寸前に、そう聞こえた気がする。

 

 ぼんやりと天井が見えた。あれ。部屋の天井はこんな感じだっただろうか。いつもより暗い気がする。……もしかして、間違えて下段にでも寝ちゃったかな。一度目を閉じて深く息を吐く。朝か。いや、暗いからまだ夜中かな。ナセルは寝返りを打とうとして、

「痛っ……」

 背中の痺れに気がついた。

 痛い。寝違えた感じとは違う。昨日の疲れ、いや、ここまで痺れたことはない。あれっ、なんかあったっけ、なにかの病気かな、などとブレイン・サーキットだけがぼやぼやと回転し――だが痛みの原因に思い至る前に、ホットリンクの声を聞いた。

「ようやく起きたか」

 頭だけ動かすと、紫の腕が見えた。途端にアイ・センサがぱっと視界を取り戻す。間違いなくホットリンクだった。彼は無感動な表情でナセルを見下ろし、「メモリは生きてるか?」と短く問うた。

「メモリ、……」

「ぶっ倒れる前のメモリだよ」

 覚えてるか? と訊かれ、ナセルは回らない頭で記憶を辿った。ええと、ぶっ倒れる前、倒れる前……。自分は倒れたのだったか? ちょっと待て。北回りで夜間巡回に出たことは覚えている。確か途中まで特に異常はなくて、一旦解散して辺りを捜索して、それで、あの三角錐の岩、考え事をしていて、それで。あっ、あの青年!

「お前、旧市街地でぶっ倒れて応援呼んだんだぞ。2時間前。覚えはねえのに緊急信号だけ出したのか? らしいこったな、まったく」

 ナセルが答えに辿り着くより、ホットリンクが待ちきれなくなるほうが先だった。つらつらと事の顛末を話されれば、ナセルのメモリもクリアになる。そうだ、あの青年にエネルゴンをくれと話をされて、俺は断った。そうしたら急に激痛が走って、そこから先は覚えていない。が、緊急信号を出していたらしい。

オートボットか?」

「……いや、子ども、だったと思うんだけど、……」

「子ども? 大した強盗だな」

「うん、バリケードくらいの背丈で、……もうひとりいたのかな、……」

 記憶と共に意識もはっきりしてきた。左右に体重を掛けて痛みを探ってみる。鈍い痛みは残るものの、あのとき――ぶっ倒れる寸前よりはずっとマシだ。スタンガンか何か、高電圧のものを押しつけられたのだろう。一時的なショートを起こしたのだと思う、とホットリンクも話していた。緊急信号をキャッチした一般隊員【ジェットロン】が、やっとこさナセルを担いできてくれたのだという。ただ2段ベッド上段(ナセルの寝床だ)にまで引っ張り上げるのは無理だったので、ホットリンクの厚意で下段に寝かせてもらった、らしい。道理で天井がいつもより暗くて近いわけである。シーカーズで最も体の大きなナセルは、すなわち同じ型の航空部隊の中でも最も大柄だ。それが気を失っているのだから、ここまで引っ張ってくるのも一苦労だったろう。それにホットリンクは、昨日の戦闘――指揮官を墜としたタンホイザーゲート上空――で、機首【ノーズ】を派手にやられたばかりだ。本来なら、深夜に起こしてリペアを頼むべきではない。悪いことをした。

 と、そこで、ナセルはあることに気がついた。

「……今、強盗って言った?」

 恐る恐るホットリンクを見る。彼はツールキットを仕舞っているのか、デスクの上で何やら手を動かしていたが、その片手で自身の左肩を二度、示した。左肩。まだ重だるい腕をなんとか引っ張り上げ、ナセルも自分の左肩を撫でた。特になんともない。触って分かるほどの傷やへこみはなさそうだし、激痛が走りもしないし、そもそも左腕がない、なんてこともない。ただの腕である。関節もおかしくない。一体どういうことだろう……と思ったところで、指が滑って、そこに窪みがあることに気がついた。でもこれは怪我じゃない。ブラスターを携帯するためのポケットだ。ナセルは基本的に、いつでも銃を携帯している。いつどこで何が起きても身を守ることができるように、である。他に隠し小銃も持ってはいるが、分かりやすく武装していたほうが威嚇になる。さすがに寝るときくらいは(暴発が怖いので)外すものの、……あれ、では今ブラスターが肩にないのは、ホットリンクが外してくれたのだろうか? そんな子どもの世話みたいなことを、シーカーが自分に、よりによって自分にするだろうか?

 そこで急に、ホットリンクの言った「強盗」と、自身の左肩とが結びついた。

「えっ嘘!」ナセルはがばっと身を起こし、「痛!」

 2段ベッドの上段のフレームに勢いよく頭を打ち付けた。反動でまた仰向けにひっくり返る。背中が再び痺れた。はっとして右肩にも触れる。こちらにも、銃がない。頭も痛けりゃ背中も痛く、さらにブレイン・サーキットは混乱と驚きでいっぱいだった。ブラスターがない。強盗。あんな子どもが。軍属でない、ただの子どもが。

「エ、エネルゴンをくれって言われたんだよ、最初は」

「そう言っておいて、端【はな】から武器目当てだったってことだ」ホットリンクが鼻を鳴らした。「なんのためのビビりだよ」

「だ、だって、なんで……、銃なんか奪ってどうするんだよ」

「知るかよ」

「俺のブラスターなのに!」

「それが強盗だろ」

「え、え、え」ナセルは肘をついて身を起こした。「ほ、本当に盗られたの?」

 ついにホットリンクの返事が潰えた。彼は無表情で片付けに向かっている。それが答えであった。

 愕然とした。ナセルも言葉が出なかった。まさかそんな、という驚きと、これからどうしよう、という強烈な不安がない交ぜになって襲い来る。銃がなければ、敵と出くわしたときに困る。小銃の余りはあっただろうか。このあいだ不要な金属を再利用すると知らせがあって、もしかしたら誰かが全部差し出してしまったかもしれない。だとしたら尚更、敵とどうやって戦えばいいだろう。もし小銃が余っていたとしても、それはあくまで「非常用」の武器だ。シーカーズのブラスターに比べれば性能は劣る。さらにナセルの銃は、例のカスタマイズ(広域捕捉と、照準の自動調整機能)がなされている。他の誰でもなく、自身の弱点を補うための対策だった。あれは俺の【・・】ブラスターなのだ。おかげで長らく、離れた距離から安心して攻撃ができていたのに――。戦いで壊れるでも、原因不明のエラーが出るでもなく、子どもに盗まれるとは。

 何やってんだ、俺。

 深い深い溜め息が出た。体を起こしておく力も抜けていく。あまりに情けなかった。シーカーズは、ディセプティコンの航空戦力の要、精鋭航空部隊である。翼を持ち、腕に覚えのある者は、皆シーカーズへの配属を希望するらしかった。シーカーズで負傷者が出るたび、一般隊員【ジェットロン】は自分こそがその座に取って代わろうと色めき立つのだという。「正直、シーカーズの怪我の噂は早いっすよ」と、夜間巡回に出る一般隊員【ジェットロン】は苦笑していた。それだけ強い部隊なのだ。そこに長らく――というか、正確には、結成当初から――在籍しておきながら、民間人に武器を奪われるこの有様はどうだ。他の兄弟たちならきっと上手く立ち回っただろうし、なんならそのへんの一般隊員【ジェットロン】だって武器を盗まれるような失態は犯さないだろう。ホットリンクの言うとおりだ。なんのためのビビりだよ。いつもの気弱さを発揮して、さっさと飛び立てばよかった。馬鹿正直に、彼の話を最後まで聞いてやる必要はなかったのだ。それを、妹がああだこうだ、というところまで聞いて、律儀に返事なんかするから。

「俺、もう、だめだ……」

 本当は小さく丸まってしまいたい気分だったが、さらに情けないことに、体が痛くて動かない。自分の何もかもにがっかりしながら、ナセルは仰向けに戻って呟いた。ホットリンクが鼻を鳴らした。返事はなかった。ナセルの言ったことだけが、形もなく空気に混ざっていく。もうだめだ。自分の言葉をなぞると涙が出そうになった。思い返せば自分は常々、兄弟に比べてだめな奴ではあったが、ここにきてとうとう本格的にだめになりそうだった。

「今朝からずっとだめなんだ。全然、身が入らなくて」ホットリンクに話しても仕方がない。そうと分かっていても、誰かに言い訳をせずにはいられなかった。「何しててもぼーっとしちゃうし、自分が悲しいんだか普通なんだか分からないし、……シーカーズがこんなことになって、なんかだめで、……」

「辛気くせえぞ」

 そこでホットリンクの冷たい声があった。突き放されたようにも、慰められたようにも聞こえて、そのどちらであってもナセルはますます悲しくなった。一度口にすると、もうだめだ、という考えで全身が埋め尽くされてしまう。

「さっきだって俺、あの子に、スカイワープの話しちゃったんだ」

「……は?」

「妹が死にそうだからエネルゴンをくれ、って言われてさ。いつもだったら可哀想だな、って思うかもしれないけど、だめだった。そんなのずるいだろって思ったんだ。それでスカイワープの話、して……、あの子を助けるくらいなら、俺はスカイワープに生きててほしかった」

 そのときのことを思い出すと、卑屈な笑いが口を突いて出た。見ず知らずの、死にそうだという妹の話。支援されて当然だと思い込んでいた青年の顔。彼の話を無下に断った、自分の冷ややかな態度。シーカーズがこんなことにならなければ、自分の態度は違ったはずだ。それから、あの場所の地下で、あの日は生きていた、スカイワープ

「なんでこんなことになったんだろう」

 我知らず声が震えた。ナセルの不安を辿ると、行き着くのはこの一点であった。シーカーズを襲ったこんなこと【・・・・・】の中心に巻き込まれた男。たとえ誰が裏切ろうとも、スカイワープさえ死ななければ、こんなことにはならなかった。その彼だって死にたくなかったはずだ。死ぬつもりなんかなかったはずだ。それなのに、殺された。本当なら撃たれるはずのないひとから撃たれて、殺されたのだ。同時に起こり得るはずのないことが、同時に起こってしまった。一体、どこで何を掛け違えたのだろう。どうしてスカイワープが殺されなければならなかったのだろう。一番強くて、一番上手くて、一番優しかった彼が、殺される理由は、どこにあるのだろう。他の者は生きていて、彼が命を落としたのは、なぜだろう。

 武器の改良を提案してもらったときのことが思い出された。お前が切り札になる、と言ってもらえたときのことが思い出された。その思い出ごと奪われてしまった。

 短い溜め息が聞こえた。ホットリンクだった。

「いい加減にしろよ」

 

 *

 

 案の定、スタ子には翌日こっぴどく非難された。

 シーカーズともあろう者が、武器を強奪されるなんて。しかも一般市民に。しかも子どもに。お前がこんなに情けない奴だとは思わなかった、予備のブラスターなんてないからな、これから小銃だけでやってくつもりなのか、そんなんでやれると思ってんのか、等々、5分も経たないうちに、ナセルが散々自責したことがすべて出揃い、「ばか!」の一言で締めくくられた。ナセルは一言も口を挟まなかった。スタ子は「ばか!」でひと息つくと、ナセルが言い返してこないことに飽きたのか、「もうあとは、おれは知らない」と鼻を鳴らして部屋を出て行ってしまった。

「……災難だったなあ、ナセル」大部屋のドアが完全に閉まってから、ビットストリームが笑みを噛み締めた。「起き抜けでスタ子ちゃんの雷ってのはね」

「久々に耳キーンってなったわ」サンストームもにやにやしている。「ま、短く済んでよかったけどな」

「ブラスターがないのは不便だろ」レッドウイングが難しい顔をした。「巡回、どうするつもりだ?」

 ナセルは彼らにも、何も言い返せなかった。レッドウイングに曖昧に微笑み返すと、彼は居心地悪そうに視線を逸らし、最後は目を伏せた。いつにも増して大人しいナセルの様子に、誰も彼も次第にからかい甲斐が失せたらしく、兄弟たちはそれぞれの作業――巡回に向かったり、エネルゴンを摂ったり――に向かい始めた。ナセルは小さなエネルゴンだけ手に取って、ソファの端っこに掛けた。視界に入るシーカーたちの肩には、間違いなくブラスターが携帯されている。それを見るたび泣きそうになった。ので、完全に俯いてしまうことにした。自分の膝から下と、エネルゴンと、手。エネルゴン。――あの青年の妹は、死んでしまっただろうか。いや、あれは全部嘘だったのだ。武器を強奪するための、初めからすべて芝居だったのだ。ホットリンクがそう言っていたではないか。ホットリンク。彼はあれから、部屋には戻ってこなかったようだった。今もどこにいるやら、姿が見えない。彼に殴られた頬はまだ痛むが、彼の言ったことを思い出すと、心まで押し潰されそうになった。お前だけ辛いみたいに言うな。何も知らねえくせに。俺がどんなに。もうスタ子には。他の連中とは、一緒にいられない。喉を掻きむしったような怒号。時折彼の黒い影が思い出された。俺がどんなに、の続きはなんだったのだろう。一緒にいられないとはどういう意味だろう。スタ子には、なんだというのだろう。いや、聞かせてもらえるはずがあるまい。何も知らねえくせに、だ。

「ナセル」

「ぅわっ」ナセルはテーブルまで蹴飛ばし勢いよく振り向いた。「サ、サンダークラッカー……」

「……悪い」サンダークラッカーは心底気まずそうにナセルの脚を見遣ると、顔色を変えずにカードを取り出した。「これ。スタ子から」

 受け取ってみるとカードキーであった。第2倉庫、とある。シーカーズの物置だ。

「取り敢えず一週間、ここの片付けしとけって。ブラスターなくした罰だとよ」

 罰。そう来たかと思った。第2倉庫の片付けなど、ここ数十年で誰が行っただろう。ただ、心のどこかでほっとした。これで一週間、武器なしで巡回に出ずに済む。――こうやってすぐ、自分は安全に逃げる。

「こないだ俺とスタ子とで、……要らねえもん突っ込んどいたから、悪いけど、いつもより汚いと思う。使えないものだけ」サンダークラッカーはそこで言い直した。「ほんとに壊れてて、使えなくなってるものだけ、捨てといてくれると助かる」

「分かった」ナセルは大人しく頷いた。「わざわざありがとう」

「うん。悪いな」

 サンダークラッカーは消え入りそうな声で、何度も謝った。いやいや大丈夫だよ、とナセルが言いかけるとサンダークラッカーに通信が入った。噂をすれば、相手はスタ子のようだ。こちらにまでインターカム越しの彼女の声が聞こえてくる。早く来い! とのお叱りがあって通信が切れた。巡回の時間だ。

「……悪い。行ってくる」

 何度目かの「悪い」を残して、サンダークラッカーは部屋を出て行った。その背を見送ってから、ナセルはエネルゴンを押し込んで立ち上がった。

 第2倉庫はシーカーズのプライベート・ブースの半ばにある。突き当たり、一番奥がスタ子の部屋で、そこから2人部屋が続き、ビットストリームたちの部屋の隣が倉庫だ。空いたシーカーの部屋をそのまま倉庫にしてしまっている。武器庫やリペアルームも兼ねた第1倉庫とは違って、こちらは完全に物置である。壊れたマグカップとか、使わなくなったタブレットとか、そういうがらくたを投げ込む場所なのだった。久々に扉を開けると、さっそく目の前の山がちょっと崩れた。埃が舞う。ナセルが咳き込むともうひとつ崩落が起きた。平時ならうんざりするところだが、今の自分にはお似合いの景色のように思えた。壁のスイッチを手探りで探し、それらしいところを押し込んでみると、お似合いの景色がさらにはっきりと見えた。大小さまざまのがらくたが、あちこちで山を作っている。奥に進むためには、まず手前から片していかなくては。

 この作業は、やはり、今のナセルにはぴったりであった。山を崩さないようそっと座って、ひとつひとつ物を吟味していく。電源が入らなければ廃棄。これ以上どうしようもないほど割れている物も廃棄。この時計は動いているから一旦保留。ただ淡々と、ナセルは仕分けに没頭した。時折うっかり翼が触れてしまい、背中のほうにある山を崩してしまうこともあったが、部屋は至って静かであった。やがてナセルがゆったり座ることができるほどのスペースができる頃には、部屋の外が賑やかになっていた。もう午前巡回の者が帰ってくる時間なのだ。サンストームの笑い声が聞こえた。彼はいつでも本当に可笑しそうに笑う。こちらまでつられてしまうほどだ。……思わず笑ってしまうと、却って部屋の静けさが強調されたようだった。ナセルは口を閉じた。辺りから音は消えていた。

 お昼。

 いや、いらないか。

 視線を扉から次なるがらくたの山に移す。てっぺんが崩落しており、薬莢だの旧式の無線機だのが見える。その下にテーブルの脚、さらにその下には大型の箱が重なっている。山の足元には小さな薬莢と何かのケースが散らばっているのだが、その中にひとつ、カラフルなブロックがあった。裏側に小さな突起がある。ナセルははっとして崩れかけの山を見上げた。立ち上がって山のてっぺんを目で探る。中腹にもそれらしき物は見当たらない。山を崩さぬよう奥を覗くと、それ【・・】は床に転がっていた。腕を伸ばすとついに崩落が起きたが、構わない。ソルヴェ・カブスであった。

 パーツの1つ欠けたカブス。一昨日、大部屋に落ちていたものだ。誰かがここへ投げ込んだらしい。これは昔から、それこそ「シーカーズ」なんて名前ができるずっと前から、大部屋にあったおもちゃであった。ルールは誰も教えてくれなかったが、かちかち回るカラフルな面が興味深く、ナセルは好きであった。サンダークラッカーとか、レッドウイングもこれで遊んでいたかもしれない。飛び回ることができるようになってからは、シーカーズ(当時はまだ、自分たちは何者でもなかったが)の遊び場は専ら空になったわけだが――時々、誰かが思い出したように手に取っては、気ままに色を組み替えてきた。ナセルはパーツをはめ込もうとした。小さなキューブには細かな傷が刻まれていた。年季が入っている。これまでソルヴェ・カブスは、ディセプティコン基地に相応しく、それなりの扱いをされてきたはずだ。うまく解けない誰かによって床に投げつけられたり、適当に箱に押し込められたり、うっかり誰かに踏まれたり、あとは、基地の外へ放り投げられたり――これは一度、ジェットファイアーによって窓から投げ捨てられたことがあった。あのときは驚いた。例によってナセルはその場に居合わせなかったが、まさかジェットファイアーが、個々の持ち物まで勝手に捨てるとは思わなかったのだ。スタ子が相当ショックを受けていたのだと、スカイワープから聞いた。そのさまを想像すると可哀想で仕方なかった。夜になってから彼と一緒に外を探しても一向に見つからず、とても焦った覚えがある。結局は確か、ドレッドウイング兄弟が、カブスを探して修理してくれていたのだった。パーツをぐっと押し込むと手元が滑った。ころころ転がるパーツを慌てて捕まえる。あの晩スタ子がソルヴェ・カブスを解いていた。あの嬉しそうな顔。彼女の話を聞きながら、ちょっと眠そうにしていたスカイワープ。スタ子はきっと、彼のあの顔しか知らないだろう。柔和なあの微笑み。サンダークラッカーと笑いあうときや、俺のビビリを励ましてくれるときとは、全然違うのだ。スタ子の前では、スカイワープはどうしても、あのいろで笑ってしまうのだろうと思う。

 スタ子が指揮官になったと知ったら、スカイワープはどんな顔をするだろう。

 

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 おそまつさまでした。

 2万字のボツを乗り越えて仕上がった本編は、こちらから。

booth.pm