monaho

monahoって、エスペラントで、僧侶の意味なんですって。

10月某日、奇跡の夜

「お一人ですか?」
 と声を掛けられたところから、奇跡が始まっていた。

 

         🎃     🐙     🎃

 

 でずにーのハロウィーンイベントがとんでもねえことになってますよ……とひとり大感謝したのが、もう2ヶ月前のこと。

 光陰矢が過ぎる。

 結局、あれから私はヤケクソのように休みを取り、

 そしてヴィランズのハロウィーンへ飛び込みました。3回。

 ほんとは2回、お友だちと一緒に行っておしまいにするはずだったのですが、

 最終日(2回目)のあとに、どーーーーーーーーーーーーーーーーしてももう1回来たい……という気持ちが抑えきれず、結局もう1回チケットを取ったのでした。信じがたいスケジュールでもう1回あそべるドン。

 

 1回目が人生初ランド。右も左も分からぬ私を、お友だちがエスコートしてくれました。

 2回目は別の友人を巻き込みランド。一緒に乗った白雪姫のアレが怖くてげらげら笑いました。

 どちらも夕方にはパレードを見ました。1回目のお友だちが場所を教えてくださり、両日ともその近くで見ました。マルフィの腕がカーブから見えた瞬間、ほんものだ、ってなったのを覚えています。

 

 で、その3回目。

 2022年10月某日、17:20から起こった素敵な悪夢。

 の、体験記です。

 途中まで帰路で興奮しながら書いてる&スーパー個人の感想なので悪しからず。

 (※この旅の帰路に書いていたものなので、日付は「今日=パレード当日」で書いてあります)

ーーーー

「お一人ですか?」
 と声を掛けられたところから、奇跡が始まっていた。
 悩みに悩んだ末、もういいやという結論に至った。トゥモローランドテラスの前で観る。暗さはもうどうでもいい。私は一眼レフを持っているわけではないし、iPhoneのカメラだって使いこなせているわけではないのだから、ていうか10月末なんかどこで観ようと暗いだろ、と思っていた。私の目的はあくまで、肉眼で観ること。前回カメラに集中しすぎて、見た気がしなかったから。肉眼で観るなら、余計に暗さとかはもうどうでもいい。幸いジョーさんはビッカビカにライトアップされているし。
 トゥモローランドテラス前に至ったのは、あわよくば5号橋(レストラン手前のあの橋をそう呼ぶ、と知ったのも10月半ばだった)フリートークが聞けないかな、と思ったから。フリートークを動画に収め、眼前に来るジョーさんは、もう、携帯を手放して、この目に焼き付けることにしよう、とすら思っていた。シルク・ドゥ・ソレイユのショー原理――シルクは撮影禁止なので、2時間ずっと肉眼のみ。だからなのか、鮮烈に「見た!!!」感がある――だ。
 テラス前は人気と聞いていたので、16時になる少し前に向かった。テラスでちょっとポテトを食べた。ポテト、量多いよね。ウーロン茶をちょっとこぼした。フタ、どうやって口つけるのが正解なのか分からずじまいだった。こぼしたことすらどうでもよかった。スーパー緊張していた。ていうか新幹線に乗っているうちから信じられないほど緊張していて、舞浜に向かいながら本当に吐くのではないかと思っていた。iPodを持ってきてよかった。ヴィラワのジャファーの笑い声に助けられた。
 お手洗いに寄ってから外に出る。「テラス前」が無限にある。4方向くらい出口があって、先週の記憶と人の多さを頼りに、ようやっとパレードルートに出た。余談だが2週間前に「パレル」という言葉を理解した。建物ないしはアトラクションの名前だとばかり思っていた。
 予想通り、1列目は埋まっていた。多少うろうろして、2列目、テラスのちょうど真ん中あたりに落ち着いた。いいのだ。いいんです。2列目でも充分すぎるくらいです。だってそこを手下たちが流れていくんだもの。私はそれを、こんなすぐそばで見られるんだもの。持ってきた敷物を敷き、腰を下ろす。思ったほど寒くない。感じなかっただけかもしれない。既に人の多いパレードルートを、キャストのお兄さんが整理している。お疲れさまです。ありがとうございます。ほんとありがとうございます。あとは自分と向き合う1時間だ、と思った。反射で「終わっちゃった;;; また行きたい;;;」と泣いた1週間前の私。マジで行くの…?嘘でしょ…?と引いた私。行くと決めて各種チケットを取る前と、取った後とで、明らかに心身が軽くなった私。どれも慶である。昨日のこの時間はシゴトをしていたし、明日のこの時間もシゴトである。それでも来ると決めた私。びっくりするくらいの行動力である。自慢じゃないが、自分のこういうところは好きだ。いやあ、よく来たなあ。
 と、キャストのお兄さんが動いた。なんかこっちに来そうである。先週も友だちと座っていたら、パレードの注意点(天候によっては…等)を教えてもらえたので、それだろう。荷物を整理するふりをしてお兄さんを横目で追う。案の定、彼は私のそばまで来た。こんにちは、と挨拶する。
「お一人ですか?」
 と、お兄さんの第一声はそれだった。

「はい」
 手下に会うためだけにさっき東京に1人で来て、明日の朝帰ります。いま超緊張してます。
 お兄さんは天候の話はしなかった。立ち歩きは控えて、とも言わなかった。代わりに、
「今、お一人分でしたら、1番前をご案内できるんですよ。あの端っこ(と彼は5号橋を指さした)になるんですけど」
「えっ」
 見れば確かに、橋の手前(渡り終えてすぐの場所)がやや空いている。あれはレストランへの通路ではないのか?
「いま人通ってますけど、こっちの」彼は今度は橋と逆のほうを向いた。地面に黄色いラインが引いてある。「黄色いところが通路になるので、ここはお座りいただけないんですが、向こうは大丈夫とのことだったので」
 どなたかが、このお兄さんに、あの端は座ってもらっていいんだよと教えてくれたのか。
 最前列。
「いいんですか」
「よろしければ」
 あまりにも橋に近すぎないか、真横に植え込みがあるから見えにくいのではないか、城から来る様は見えないぞこれは。懸念が過っては泡のように爆ぜる。柵はある。植え込みがある。城から来る様は見えないだろう。ただ、前には誰もいない。最も近い場所で見ることができる。喉の詰まる緊張感を一掃するほどの緊張で、いっとき体調が元に戻った。
 いそいそと荷物を抱えてお兄さんへついて行く。この白いマークから荷物が出ないように、とだけ教えてくださって、お兄さんは去っていった。目の前には広く開けられた通路と、その向かいに白雪姫の女王様(の仮装の方)が座っていらした。いちばん前であった。

 気持ちの整理どころではなくなってしまったので、座りながらお隣さんにご挨拶した。失礼します、程度だったが、たくさんのグッズや防寒具をお持ちだったので、ああ本当に観にいらした方だと確信した。やがてそのお隣さんに、

「お一人ですか?」

 とお声がけいただき、私は緊張と楽しみがごっちゃになっているお一人です、と答えた。堰を切ったようとはまさにアレであった。
 それが16時のこと。気がつけばその席から見える木を撮って、家族に「いいい1番前だああ」とLINEをしていた。

紛うことなき1番前だった

 

 お隣さんは既に何度もパレードにいらしている方で、何より4年前の現地をご存知だった。私はもう、堰が崩壊しているので、普段なら話さないレベルでおしゃべりさせてもらった。当時の動画を見せていただいて盛り上がり、私は今日が最後のロッキンであることを話し、明日の朝に帰ってシゴト直行ですとまで白状した。お隣さんと、現実、そして夢の世界の話をさせていただいているうち、吐き気は気がついたら消えていた。何度も2人で「終わっちゃう…」と溜め息をつき(まだ始まってもいないのに)、これからやってくる手下たちと、それから寒さと暗さに思いを馳せた。寒さは先週味わっている。だからカイロとブランケット(先週急遽ランドで買った)、実はウルトラライトダウンまで持ってきていた。ブランケットは早々に出していたが、上着はジョーさんをイメージしたグレーのジャケットのみ。「寒くないですか?」とお隣さんにお気遣いいただいた。本当にお優しい方で救われた。当の私は、おそらく緊張であらゆる細胞が息を潜めていたせいか、やはりまったく寒くなかった。
 16:20。16:50。17:10。それぞれの時刻に、あの妖しい音楽とアナウンスが流れる。
「それではどうぞ、お楽しみに」
 と3回言われた。「なお、」と続くことは無かった。それがどういうことか、この数週間で理解できるようになっていた。はい。楽しみにしてきました。ずっとずっと楽しみにしてきました。今も楽しみです。
 泣きそう、と何度も口にしていたと思う。17時を過ぎる頃には、私もお隣さんもあまり話せなくなっていた。私は緊張していた。1人で自分に向き合う1時間、と覚悟してきたが、ありがたくも既に1時間どころか30分をきっている。辺りは暗いし、街灯が点いた。地面にミッキーを書いてくれるキャストさんが来た。それを見つけて、かわいい〜! と声を上げて写真を撮り、楽しそうに歩いていく女の子たち。先週の今頃は、私も友人と一緒に座っていた。帰りに買うおみやげの話をしたり、行き過ぎる仮装の方々の衣装を目で追っかけたりしていた。とても楽しかった。本当に楽しかった。間違いない。それでも今日は1人で来た。
 最後だ、と自分に言い聞かせたことは、覚えている。最後だよ。取り敢えず、気持ちを最高潮にしておきたかった。もともとは自分に向き合う覚悟で来ていたので、泣くなら泣けばいいし、むしろ泣くぐらい思い詰めていいよと思っていた。5号橋の隅からは、木と街灯越しに、シンデレラ城の横顔が見える。じんわりと明かりのついた城が、そのうちハロウィーンカラーに照らされることを、先週で既に知っている。それを見ながら、最後だ、と念じた。よく来た。これで最後だ。ジョーさんに会える。ここで、この最前列でパレードを見ることができる。よかったね、と思うとようやく二すじだけ泣けた。
 17時の段階で、カメラは既に起動させっぱなしだった。動揺して手を離してしまってもスマホが落ちないよう、首から下げるホルダーも、この旅用に手に入れている。先週もお世話になった首紐。気持ちとしては犬のリードである。間違いなく外カメであることを確認する。このボタンを押せば録画がスタートで合ってるよな、と確認する。途中で、画面の隅っこに「HD」の文字があることに気がついた。画質か? と思い、よく分からないままにタップする。「4K」になった。
 よ、4K!?  あの!?
 そうだったの…? そんな機能あったの…? 自分のスマホのことを何も分かっていなかったが、ともかく、このタイミングで4Kに気づけたのは本当に幸いだった。これで綺麗な動画を撮ることができる。今回の目的は「肉眼で見る」ではあったものの、まあホラ、できることならより綺麗に記録できたら嬉しいじゃん……? ねえ……?

これが4Kだ! ほんとか!?

 

 17:20は、5号橋には静かに舞い降りた。
 後ろからはまだ、未来あふれる音楽が流れている――が、遠く城の向こうから、重い、よく知った音楽が聞こえてくる。時計を見る。20分を少し過ぎている。彼らがやってきた。まだ見えないし、声も聞こえないが、やって来たのだ。マルフィの「皆さあん」という声を想像して、また喉が苦しくなった。
 星が見えた。まだ空が明るい。私の正面には大きく開いた通路と、それから向こうの列の方々、その背景に木々が見えていた。そのうちの1本の木が、やや独立して伸びていて、さらにその先端に星がひとつ光っていたのだった。なぜだか撮らなきゃと思った。写真フォルダを見ると、それが17:22のことだったらしい。

星が見えていた 心の目で見てください

 

 それから10分過ぎると、テラスにもロッキン・ハロウィーンのあの曲が流れ始めた。楽しんだ暁には……と不敵な声に笑われる。曲に混じって、おそらくマルフィだろう声も聞こえ始める。幻覚ではない、「皆さあん」が近づいてくる。
 マルフィとエイトフットの声がする。間違いなく彼らだ。何かを話している。しかしスピーカーの向きか、はたまた距離のせいか、ぎりぎり何を言っているかわからない。たぶんレストランのことを話しているのだが、フリートークは私の思っているより橋の手前(私から見れば、橋の向こう)で行われているようだった。

 ここだと聞こえなかったかあ。確かに他の方のフリートークの動画を拝見すると、ここから(テラス前から)の画角のものはあんまり無かったもんなあ。冷静に思い返す自分もいたが、しかし、もうそんなことは些事だった。

 彼らがいる。彼らがやって来る。姿はまだ見えない。思わず前のめりになってしまいそうになる。

 早く来ないかな。いや、来ないでほしい。フロート(キャラクターが乗っている動くアレ。アレをそう呼ぶこともハロウィンが始まってから知った)の速度も分かっている。来てしまったら最後、彼らはあっという間に行ってしまう。

 私のロッキンはこれが最後だ。終わってしまう、と感極まるだろうと思っていた。マルフィが少しでも見えれば、途端に泣き崩れてしまうのではないかと予想していた。

 現実は、涙は出ず、少しずつ近づく彼らの声や、すっかりロックになった音楽に、もう楽しくて仕方がなかった。私はまたここに来た、あなたたちを一目見たくてやってきた。先週で終わりのはずだったのに、だったけど、でももう一度来た。このパーティーに参加するために。ここにいることが信じられなくて、この1週間が嘘のようで、遠くぼやぼやと聞こえる彼らの声を、なにを言ってるか分からないけれど、なんだかずっと楽しそうな彼らの声を、動画に撮り続ける。

 マルフィの長い腕が見えたのが、動画によれば、17:38のこと。

 ここからは正直、記憶が薄い。たぶんロッキンに限らず、ライブや舞台などに参戦された方には分かっていただけるのではないかと思うが、その最中の記憶は、なんでか分からんが飛ぶ。「そのとき」は信じられないほど濃くて、夢のようでいっぱいで、そして、夢のように去っていってしまうものなのかもしれない。

 ここは自分を褒めたいのだが、携帯で動画を撮りながら、「見るんだよ、私」と自分に言い聞かせることができていた。私は、彼らを、この目で見に来たのだ。肉眼で見に来た。カメラにいるけど私の網膜にいない、と泣いた先週の私が、強く強く「肉眼で見たい」と思ったからここに来たのだ。体育座りに座り、抱えた膝を支えにして携帯を構えながら、私は確かに、スマホの画面から目を離していた。撮り続けながらも、私が見ていたのは画面越しのマルフィではない。生の、ほんものの、目の前に通り来る美しい彼を見ていた。記憶は、前述の通り、あんまりないのだけれど。

 ポーズのレクチャーが終わる。橋の向こうで、マルフィが執拗に「グーンにも拍手してあげて」と繰り返している。「うん、手ぇ振るんじゃなくて、拍手してあげて。拍手」

 やがてrock this parkの曲が落ち着き、と同時に、彼らの乗った汽車が橋を越えた。

 手を下ろしたマルフィが一帯を指す。

「素晴らしい。拍手をしてと言うのにまったくやらない! なかなかのヴィランズ度だ」

 そんなことを言っていたと気づいたのは、ホテルに戻って動画を見返してからだった。やっぱり記憶がない。確かなのは、私はカメラで間違いなく目の前の光景を録画していることと、そして、肉眼でも間違いなく彼らを見ていたということだ。その証拠に、今もまだ「見た」という充足感があるし、何よりマルフィのお顔が画角から切れてしまっている。美しいお顔が。ごめん。でも見切れてしまっていてもあなたは美しい。

 思いっきりのフリートークではなかったが、こういう小粋な発言を聞くことができて、私は幸せだった。

 マルフィが両手を挙げるよう言うと、次はエイトフットのジョーが喋る。順番だ。知っている。汽車の最後尾に立つ彼は、ここからではまだ姿が見えない。

「その両手を前に倒せ……って言う前に倒してる奴がいる。焦りすぎだなァ」

 手元の動画には、まだマルフィが映っている。やれやれ、と言いたげに肩を竦める彼の、軽やかで重たげな優美さ。

                詳しくは、こう

 グーンが流れていく。かわいいよ。

「よォし最後は?」エイトフットが言うと、マルフィとエイトフットが声を合わせて、「ヴィランズに拍手ぅ!」

 の、このときに初めて、私には、エイトフットのジョーさんが見えた。

 ところで、橋の上にはゲストがいない。そこには座りも立ちもできないようになっている。おそらく、だから(或いはトゥモローランド・テラスへの飽くなき興味から)彼らはお喋りして我々を笑わせ、泣かせてくれるのだが、この5号橋を渡れば別だ。

 ここから最終地点まではたくさんのゲストが、今か今かと彼らの到着を待ちわびている。橋を渡っている間、彼らがどの方向を見ているのかは分からないが、前述の通り、橋が終われば彼らの両サイドに大量の人間が座り、立ち、泣いている。

 彼らはどこに在る人間をも捉えてくれる。橋を越えたら急に現れる人間達の列に、すぐさま目を向けてくれるのだ。

 そしてこの日、橋を渡りきったエイトフットが、たまたま最初に向いてくれたのは、トゥモローランド・テラス側――つまり私たちの座っている方向であった。

 ヴィランズに拍手ぅ、と彼らが言い終わると同時に、音楽は紙が巻き込まれるように収束して「ヴィランズ・ワールド」へ切り替わる。その境目を見せつけるように、一度ドンと低音が響く。するとグーンはまるで事切れたようにがくっと体を倒し、一方でマルフィは心底楽しそうに「皆さあん」と我々に呼びかける。

「わたくしマルフィと、エイトフットがやってきました」

 この1ヶ月でたくさん聞いたご挨拶。先週も聞いた名乗り。場所やタイミングによるのでなんとも言い難いが、思い返してみれば、私が見た3回は偶然にも、すべて彼らの口上の地点だった。お名前は存じてます。初めて知ったのは今年の7月末ですけど、でも知ってます。会いたかったです。

 マルフィの言葉は流暢だ。流れるように自身の名を名乗り、エイトフットを紹介する。そのタコ他己紹介を、エイトフットのジョーさんは、欄干に体重を預けながら聞いている。で、完全にこちら側を向いてくれている。

「拍手う!」

 とマルフィが言うと、エイトフットは右腕を高く上げ、手首をうねうね回してみせる。うねうね、の感じをここに示したいのだが、あいにく画像も動画もちょうどいいのが見つからない。各自たのみたい。

 フロートは動いていく。その名の通り目の前を流れていく。

 ジョーさんが手首をうねらせながら近づいてくる。

 汽車の最後尾が完全に橋を出る。

 拍手う! と言われた。マルフィに。今。

 拍手しなければ。

 頭の中が一面その思いだけになった。拍手しなければ。しかしスマホを手にしている。動画を撮っている。拍手できない。情けなくもスマホを放り出すことはできなかった。でも拍手と言われた。何かしなくてはと思った。右手で膝でも叩こうか? いや、それでは音が出ない。彼らに届かないし、ていうかそれは拍手ではない。拍手と言われたのだ。拍手ぅと言われたから拍手しなくては。しかし拍手できないから何かしなくては。その一心であった。何かしなくては。何か。

 私は咄嗟にスマホを左手のみに持ち替えていた。

 右手が空いた。

 その右手を、恐らく顔の高さまで上げて、ジョーさんのように、手首をうねうねさせていた。

 

 どうして急に思いついたのか、自分でも分からない。

 これはきっと、たこ流のご挨拶なんですよね、

 と、微かに考えていた、ような気がする。

 ジョーさんが、正真正銘の私のド真ん前に来るまで、うねうねさせていた。

 

 

 ジョーさんが右手を降ろす。

 多分、私はまだうねうねさせていた。

 降ろした右手で、ジョーさんは一度欄干を掴み、

 それから、目が合っ、て、

 「おっ」みたいな表情を浮かべたかと思うと、

 うねうねさせ、そして欄干を掴んだ右手で、

 私を指さした。

 そう信じさせてください。

 

 

 私はもう、そのときは、子どものように嬉しくなってしまった。

 わあ~っ、ふふふ、だった。

 感じたことは、いつもおおむね言葉の形で頭に残っているのだが、

 このときのことは、本当に、「わあ~っ、ふふふ」として残っている。

 ジョーさん!?とか、キャー!!とか、ファンらしい(?)反応はできず、

 頭が真っ白になって記憶がぶっ飛んだ(大半飛んではいるが)とかもなく、

 ただただ、すごく、すごく、嬉しかった。

 目が合って、私を指さしてくれたような気がする。

 それだけで本当に嬉しくて、楽しくって、ただシンプルに笑顔になってしまった。指を差し返したり、さらなるリアクションを取ったりすることはできなかった。暗闇に座り込んだ、マスクで顔を隠した人間の笑顔など、たこには見えなかっただろう。それでもマスクの下は笑顔であった。私はスーパー笑っていた。スーパー嬉しかった。

 17:38から、17:39にかけてのことであった。

「俺の名前はエイトフットのジョー!」すっかり私の前を通り過ぎたジョーさんが名乗りを上げる。存じてます。ええ。存じています。「この時期になるとプリンセスがやたら増えるんだよなァ。お前ら真実の愛を探してるんだろ?」

 正面を向いて名乗ったジョーさんは、目の上に両手をかざして「ものを探す」のジェスチャーをしながら左右の人間たちを見回し、「手伝ってやるが契約だけは破るな」と陸を統べるように腕をかざすと、「あの小娘みてえになァ!」と言い放った。長い腕で顔を隠すと、またしても曲が収束して「ヴィランズ・ワールド」が破裂し流れ出す。

 ずっとジョーさんを追いかけていた。間違いなく録画したし、肉眼でもずっとジョーさんを見ていた。膝でリズムを取っている。体が揺れるくらい腕を広げている。あの、動画でたくさん見た4年前と同じような仕草――右腕を斜めに伸ばし、その線を左手で(手をひらひらさせながら)なぞる、身も蓋もない言い方をすればボルトのヴィランズバージョンみたいな振り――をしていたようにも思う。私はそれをやや斜めの角度からみた気がするが、カメラはもう少し正面から撮ることができている。つまり? 私は肉眼でもちゃんと見たんだ!!!!だって違う映像が頭の中にあるんだもん!!!!

 ジョーさんの姿は当然どんどん離れていくし、後続のフロート(こちらはフック船長とその手下・ホックさんが乗っている。格好いい)が来ればその影に隠れる。完全に姿が見えなくなってしまうまで、私はずっと、ジョーさんを見続けていた。

 ところで「ヴィランズ・ロッキン・ハロウィーン」のフロートは6台ある。ジョーさんが行ってしまったからといって終わりではない。ぜんぜん終わりではない。

 そのあとにファウルフェローピノキオ)マレフィセントクルエラとその手下Mr.ダルメシアウィックド・クイーン(白雪姫の女王)とその手下アップルポイズンが次々にやって来るのだ。マレフィセントは大変美しいし、クルエラの色気は高所から降ってくるし、ウィックド・クイーンは全員に赤いリンゴをくださった。パレードの最後尾はアップルポイズン。ちょうど(またしても)「ヴィランズ・ワールド」のダンスパートだったので、彼は前髪をひとすじほぐれさせながら、キレッキレに踊っていた。彼のフロートが行き過ぎると、「ここが最後尾」を意味するキャストさんが列を成して歩いて来、さらにその後ろには、たくさんのゲストが歩いてくる。アップルポイズンを追っかけ隊だ。ちまたで「アッポイの大名行列」と表現されていて笑ってしまった。

 その大名行列が見えれば、パレードはここでおしまい――というか、立ち歩いてOKになる(パレード中の移動は危険なので禁止なのだった。キャストさんの列がやって来るまで移動してはいけない)。放心も束の間、私はお隣さんと顔を見合わせ、手早く荷物をまとめて立ち上がった。敷布もブランケットもとりあえずバッグに突っ込む。間違いなくすべての荷物を持ったなら、「行きますか?」「行きますか」のやり取りだけで、我々はそそくさと列を抜け――トゥモローランド・テラスの中へ入り――店内を通り抜け――反対側の出口から出て――パレード最終地点へ向かった。競歩で。

 パレードルートを最終地点まで歩く。競歩で。幸い迷うことはない。フロートは大きいし、彼らの声が聞こえるし、何より人垣が絶えることがない。ダルメシアが何か言っているがちょっと遠い。女王の高笑いが聞こえる。アップルさんも何か言っている。「我らが女王様に盛大゛な拍手を捧げな゛さい゛!」と、ドスの効いた声であった。

 彼らの終着点は、大きな門である。フロートはなんの迷いもなく門へ入り、曲がっていく。各フロートの後部にいる者たちは、門へ入る前にたいへん華麗なお辞儀を見せ、それぞれポーズを決めていくのだった。

 あわよくばジョーさんの最後に間に合わないか…!? と思っていたが、さすがに先頭のフロートは真っ先に入門してしまっている。そりゃそうである。我々が決死の競歩をキメた末、捉えられたのはアップルポイズンのお帰りであった。彼が大きく手拍子を促す。ロックな音楽は流れ続ける。フロートもまた進み続け、アップルポイズンがポーズを決めるか恭しくお辞儀するか(遠くて見えなかった)すると――巨大な門はあっさり閉じられた。その閉まり方の、未練の無さたるや。

 後には行列を為した我々と、それからロッキン・ハロウィーンの曲が取り残された。その音楽もまたすぐに薄れていき、「お楽しみいただけましたか?」と、誰ともないアナウンスが流れる。人垣が崩れる。一点に集中していた人の視線が途端にさまざま行き交い、多くの人が門と逆の方向へ歩き出す。おそらく時刻は、17:50。ザ・ヴィランズ・ロッキン・ハロウィーンは終了した。急に、辺りに陽気な音楽が流れ始めた。

 立つ鳥も、タコも、鉤も、犬も、林檎も、跡を濁さない。

 

 

 すさまじい1日であった。

 興奮冷めやらぬままお隣さんと荷物を整理し、なんやかんやあって帰途に着いた。

興奮冷めやらなさすぎである

 

 電車で1人になってからは、信じられない思いで写真を見返していた。先週一緒に遊んでくれた友人に、焦って車内で電話をかけてしまった(すぐに切った)。一連の流れを説明し、あわわわわ、と文面で抱きついた。「やば!!」と喜んでくれたのが嬉しかった。ホテルまで1度乗り換えが必要であった。気がついたら乗り換え駅に着いていた。乗り過ごしそうになって慌てて席を立った。

 こんな、見知らぬ土地で駅を乗り過ごしそうになるほど、放心するというオチを、私は1ミリも想像していなかった。どうせ「あああ;;;終わっちゃった;;;;やだ;;;;帰りたくない;;;;」と地団駄踏むのだろうと思っていた。今度こそ、ひとり夜通し泣くのだろうと思っていた。そうなるだろうと覚悟して、来た。それでも来たかった。それがこんな、こんなにふわふわした、胸がふわふわしたものでいっぱいで、物理的に浮き足立ちそうで、はっきりとしたかたちにならない、「うわわ~」とか、「ふああ~」とか、幸せの溜め息のような気持ちで充ち満ちて、するするホテルへの道を歩くことができるなんて、そんな予想は本当に、僅かもしていなかった。どんだけ泣く気でいたのだろう。もう、舞浜にすべてを投げ捨てに行くつもりだった。これ以上ないほど良い意味で、こんなはずではなかった。

 4日前に行くことを決め、4日前にすべてのチケットを取り、そうしてここまでやってきた。単にもう一度来たかったから。もう一度見たかったから。たいへん幼稚な、わがままな気持ちをエンジンに、舞浜までやってきた。舞浜なんてちっとも近場ではない。明日の朝に帰って、その足でシゴトに向かうのだ。とてつもないスケジュール。

 ホテルに着き、荷物を置くだけ置き、手を洗ってうがいをして、椅子に掛け、室内のテレビにスマホの画面を投影した。早々に勿体ない、と心中でか細い悲鳴がしたが、どうしても抑えられなかった。すごい技術だ。なんかぴぴっとすればスマホ画面をテレビに映せる。流すものは1つしかなかった。

 マルフィの高らかな自己紹介が聞こえる。テレビの中には、確かにエイトフットのジョーさんが映っている。テレビに向かって手首をうねうねさせてみる。やっぱり目が合っている、気がする。これは本当に自分が撮ったものか、ついさっきの現実なのか、ほとんど実感が持てなかった。今もまだ、ちょっと疑ってしまう。あれ現実?

 自慢じゃないが、私は諦めが悪い。終わったことに対して大体くよくようじうじしてしまう。物事の終わりが好きではない(大好きな人も多くないとは思うが)。「次」が無いことを異様に悲しんでしまう。それが自分だとばかり思っていた。

 が、この日は――というか、今回の旅に関しては、ほんとうに、未練が無かった。私のハロウィンはこれで終わったのだと、清々しく受け入れることができた。最高だった…やばくね…? と余韻に浸ることができた。終わったことへの悲しみや、説明しがたい衝動や、先週のような「また来たい;;;」も、無かった。行゛きたい゛の気持ちに素直に従えたことは偉い、と、自己肯定感すら芽生えてきた。

 私がようやく涙したのは、この翌日、東京から帰ってきて「ああ、あの一瞬は本当に嬉しかった」と言葉にしたときだった。そうか私は嬉しかったのか、と、そのときに初めて自覚した。

 

 

 

 救われた、と思った。

 帰途のどこで思ったのだか定かでないのが悔しいが、救われた、と思った。

 かつてない救われ方をした。ひと思いに救ってもらった。

 誰が何と言おうと、私はほんとうに救われた。

 

 

 

 4年前に「666年後に」と姿を消し、

 4年経って今年の9月14日に戻って来、

 1ヶ月半ものパーティーを続け、

 1度だけ道路トラブルに見舞われながらも、

 数え切れないほどの人間を笑わせ、泣かせ、そして救ってくれた手下たち。

 4年前、そのもっと前から彼らに魅了されていた方たちが、

 なんというか、救われていたらいいな、と思う。

 2ヶ月前に知った私でさえ、かつてない救われ方をしたのだから。

 本当に、本当にありがとうございました。

 奇跡の、幸せな1ヶ月半でした。

 救うとか幸せとか言うと彼らは嫌な顔をするかもしれないが、

 言うだけ言わせてほしい。ありがとうございました。

 

 

 3回目で急にお相手くださったお隣さん、

 2回目の急な誘いに付き合ってくれたソウルメイト、

 1回目に何もかもを教えてくださったお友だち、ほんとにありがとう。

 来年のハロウィーンでまた遊んでください。

 

 

 最終日のジョーさんは、「せいぜいあの星にでも願ってろ。俺たちにまた会えますようにッてなあ」と言い残したらしい。

 で、その晩はランドに本当に星が降ったとか。すごすぎるよ。

 

 でもこっそり、私はあの、17:22に見えた、木の隙間に光っていた星に願おうかなと思う。

 美しい夜であった。

 

ほんとうに綺麗な夜だった

 

 



 

 

 ……と思ったが、星に願いを、な~んてロマンチックなことしても、ヴィランズの皆さんは鼻で笑いそうな気がする。もうちょっと確実な方法を取ります。ジョーさん! 私お悩みがあるんですけど! 来年も来てほしいなって思います! 契約おねがいします!

 

 

 

 

 なんかねえ、来年も来てくれる気がする。きっとね。また来年ね。絶対ね。待ってるよ。