monaho

monahoって、エスペラントで、僧侶の意味なんですって。

新るろ13話「死闘の果て」

新アニメ13話を見ました。

 

見て、色々思いました。

 

ようやく言葉がまとまってきたので、

色々思ったことを書きます。

 

般若くんたちと、

それから、操がいなくてよかった、という話。

 

 

 

 

初めに考えたのは、般若くんのこと。

 

私はどうしても蒼操脳なので、「御頭が笑う」ことに意識が向きがちです。
新アニメでは、観柳の前で、剣心の前で、けっこう表情豊かでしたよね。
おお、笑った……おお、怒った……等々、わたし赤ちゃん見守ってるのか?みたいな気持ちで見てました。

 

で、
しかし、
表情が見えない/見づらい点においては、般若くんも一緒だったな、ということに、13話を見て初めて気づきました。

 

般若くんがどんな顔をしているのかは、誰も知らないんですよね。
面をしていても、素顔のままであっても。


お面も素顔も、どちらかといえば険しい顔つきなので、
私はずっと般若くんは難しい顔をしているとばかり思っていました。

 

それを我らが御頭は、「俺にはそう(=笑っているように)見えた」と言ってのけたわけです。

 


クッ………(顔を伏せる

 


拳を合わせるから分かるのかもしれない。
これまでの関係性や、信頼があるから分かるのかもしれない。

 

 

それからふと、人は鏡である、という言葉を思い出しました。

 

そして泣きました。

 

表情の無いロボットがいます。
介護施設や、ちびっこたちの遊び相手として、
(^^)とか(・▽・)とかの表情は一切ない、本当の真顔のロボット。

 

こういうやつです。↓


 

一見、マジの真顔なのでものすごく怖いのですが、
いざ相対してみると「かわいい」らしい。
というのも、完全な真顔なので、そこに自分の知っている人や、
思い描くイメージを投影しやすいのだそう。

 

ねえ。御頭。
「俺にはそう見えた」ってことは、
きっと、あなたも笑ってたんだよ。楽しんでるんだよ。


だから分かったんじゃないかな。般若くんが笑ってるって。

 

その二人を囲んでいる式尉さんたちもすごくよかった。

 

なんかこう、やっぱりあの5人には、あの5人にしか分からない繋がりがあるのだな、と、しみじみ思いました。
お互いに、尊敬や心配や、感謝や居たたまれなさや、色々ありつつも、
男5人でいる気楽さと言うか、うーん……、なんだかんだ楽しかったのだろうと思います。

 

 


次に考えたのは、観柳邸に操がいなくて、本当に本当に良かった、ということ。

 

ご存知の通り、般若くんと式尉さん、火男にべし見は、
ガトリングガンから御頭を守って亡くなります。

 

あの場に操がいたら、きっと操も飛び出したことでしょう。

 

剣心は止めてくれるかもしれない。御頭は「来るな」と言いつけることでしょう。
でも、あの操です。みさちゃんが止まるわけないし、来るなと言われて来ない子じゃない。

 

もしも御頭が操をずっと連れていて、
もしもあの場に操がいて、
もしも御頭の足が撃たれたのを、彼女が見たなら、

 

操はそれはもう、般若くんたちと同じことをしたでしょう。

 

般若くんたちが殺されてしまった後にホールへやってきたとしても、
御頭を守るために、或いは般若くんたちの敵討ちと言って、
たぶん何かしたでしょう。

 

そして、あの4人が殺されたのに、操だけ無事でいられるはずはないでしょう。

 

原作では、そしてアニメでも、

御頭はいっぺんに一人になってしまったんだな、と感じたのでした。
これまで大勢いた部下が4人まで減って、でも4人とは長らく一緒にいたのに、
一瞬で、たった一人になってしまった。

 

もし観柳邸で操まで命を落としていたら、
彼は文字通りの意味でも、「江戸」御庭番衆としても、
ほんとうに、一人ぼっちになってしまう。

 

そうなったら、彼は元に戻れなかっただろうなと思うのです。

 

もちろん、京都編の出来事そのものが起こらなくなる・或いはちょっと変化することになるから、
そもそもストーリーが変わるでしょと言われたらそれまでなんですけど、
それにしても、「あのまっすぐな涙」が起きなくなるわけで、

 

そうなると、目覚めるときは現在とか、それでも逃げ続けるのかとか、
剣心がいっっくら語り掛けてきてくれても、御頭は応えようがなかったんじゃないのかなあ……。

 

蒼操というフィルタをできる限り抜きにして考えたとしても、
京都編で御頭を正気に戻した要因の1つは、操の存在だったと思うのですよ。

 

その操まで亡くしてしまったら、
御頭が「しなきゃいけない」ことが無くなっちゃうと思うのです。

 

彼は責任感の人だから、たぶん「しなきゃいけない」ことがある、と思えばこそ動きやすいんだと考えています。

 

4人に最強の華を添えてやらなきゃいけない。
抜刀斎を倒さなきゃいけない。
外法の者を外法の力をもって闇に葬らなきゃいけない。
操が泣いているから、助けてあげなきゃいけない(人誅で)。
くれぐれも頼むと言われたから、操のことを見ていてあげなきゃいけない。

 

「御頭」として、自分が面倒を見てやらなきゃいけない相手が、
完全にいなくなってしまったら。

 

剣心と戦った後に、「操が泣いているよ」という事実が無ければ、
御頭を現在に引き戻す材料は、ほとんどないのでは。

 

翁はじめ葵屋の仲間たちはいるけれど、
御頭本人と葵屋との接点って、やっぱり操が9割だと思うのです。
みさちゃんがいなければ、葵屋に戻ってお店手伝おうかな、とはならないでしょう。

 


修羅。

 

 

そう思えばこそ、
御頭が、みさちゃんを葵屋に置いて行った選択は正しかったのだ、
と、擁護したくなっちゃうなア。

 

小難しいことを抜きにしても、
やっぱり大切にしてきた女の子が、
目の前で(しかも自分を守るために)撃たれるところなんて目の当りにしたら、
正気ではいられなくなるでしょう。

 

操が生きていてくれてよかったなあ、と思うのでした。

 

 

死闘の果てに、

新しい仲間ができた高荷と剣心たち、

大切な仲間を一瞬で亡くした御頭。

 

その後とか、決着とかは京都編で語られるわけなのでどうか京都編まで新アニメ化していただきたいし叶うことならなぜかこれまで一度もアニメ化されていない人誅までやっていただきたいと切に願ってやまないのですが、

 

 

新アニメの御頭は、想像以上に般若くんたちと仲良しだったので、

あの彼が一体どうなってそうなってああなってしまうのか、

この目で見守りたいなと思います。

 

 

これは江戸城趾。

兵どもが夢の跡、と思いました。

江戸城

 

ありがとう。令和の御庭番。

あとはみさちゃんに任せてみようね。