monaho

monahoって、エスペラントで、僧侶の意味なんですって。

「for-get」

 pixivに、「for-get」をアップしました。

 ネップリで折本にしていたアレです。

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 各所で書き忘れましたが、「for-get」という文字(タイトル)と手のアイコンは、Squarespacehttps://www.squarespace.com/logo)というサイトで作りました。英語サイトですが、さくっとオシャレにロゴが作れるのでオススメ!

 

 ご感想お待ちしてます、とお願いしたら、いろいろご感想をいただけて、慶はハッピーです……ありがとうございます……いつでもお待ちしてます……

 

 忘れることのお話。

 あとがきはボタンから!

 

 

 

 A6折り本ということで、かなり短めのお話でした。

 折り本の最終ページにも書いたのですが、今回のお話は、forgetという単語から始まりました。

 forget【動】忘れる、(…を)忘れる、思い出せない 等(Weblio英和辞典より)

 

 これを、音節で区切ると、for-getとなります。

 for-get。

 「得るため」、と、解釈できるなあ。

 忘れるのは、何かを得るため。

 何かを得るために、忘れる。

 過去形forgotは、得たために、忘れる?

 

 

 漢字の成り立ちと同じように、英語にも単語の成り立ちがあって、

 調べてみたところ、forgetの語源は全然違うようなのですが(接頭辞for[~を禁止する、無視する、やめる]+get[手に入れる]=手に入れるのをやめる、手放す忘れる

 ま、言葉遊びの範疇ということで……

 

 

 御頭が座禅を組むお話でした。

 原作中では、気持ちの整理をつけるために、禅寺へ通っているとされていた御頭。

 以来、出会う人にしょっちゅう座禅のことを持ち出されていたのは謎ですが、

 とにかく彼は座禅を組んで、そのおかげか、最終的には「外法の者を更なる闇に葬り去る」のが自らの勤めというところに至ったようです。

 

 その、座禅、なんですけど、

 本来は悩みを解決するためとか、のものではなくて、

 ただ坐り、心と身体を整えるものなんですよね。

 道元さまの広めた曹洞宗では、座禅をこんなふうに紹介しています。

ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。

 (曹洞宗の座禅|https://www.sotozen-net.or.jp/propagation/zazentop

 

 この、「何か他に目的があってそれを達成する手段として座禅をするのではありません」という一文が、ぐっと来まして。

 これ、御頭には難しそうだなあ。と、思ったわけです。

 

 

 気持ちの整理をつけるったって、ただの気持ちじゃありません。

 心を殺してきた男の、幕末からこれまでの気持ちです。

 部下が殺され、無我夢中の復讐に縋ってきた男の気持ちです。

 でも、心根は優しくて、責任感の強い男の気持ちです。 

 過去のことを考えずにはいられないじゃないですか。

 なにも考えず、心を静めて坐ることなんて、難しいじゃないですか。

 

 御頭は、特に京都編が終わった辺りの御頭は、自責の念がすごそうだなあ、

 と思います。

 ちょっとでも昔のことを忘れていた時間があったら、めちゃめちゃ自分を責めてそうです。

 作中にも書きましたが、昔のこと、部下のことは、もう絶対に忘れてはならないもの、常に心に留めておかなければならないもの、と思ってそうだなあ、と。

 忘れたりなんかしたら皆に申し訳ないし、薄情だ、と。

 

 

 でもね、

 どうしたって、人は忘れていきますし、

 どうしたって、気分は変わっていきますし、

 それが普通のこと。

 

 だから蒼紫さま、ずーーっと息を詰めてなくてもいいんだよ、

 と操に言ってほしかったのでした。

 みさちゃんなら、そう言ってくれそう。

 

 きっと操も、翁も、葵屋の人たちも、

 御頭がごはんを食べて美味しいと思ったり、

 なにかを見て綺麗だと思ったり、

 楽しいことがあって笑ったりしたって、

 御頭を薄情だと責めたりしないでしょう。

 般若たちだって、きっと。

 むしろ、般若くんたちは、そうあってほしいんじゃないかな。

 御頭が操と一緒に、縁側でお茶を飲んで、あ、蒼紫さま見て見て、あの鳥すっごい綺麗! なんて鳥だろ。そうだな。真っ白だね。そうだな。って、お話ししてるところが見たいんじゃないかな。

 

 

 まっさらな時間も、

 移り変わる気持ちも、

 無理に留めようとしなくていいんじゃないかな。

 

 

 御頭には、ゆっくりゆっくり、心をほどいていってほしいな、と思います。

 そんでもって、ゆっくりゆっくり、なペースを、自分に許してあげてほしいな、とも。

 操なら、ゆっくりゆっくり、な御頭を、一緒になって、見守ってくれるんじゃないかな。

 

 

 ここからは個人の意見ですが、どっかで書いたかな、

 個人的には、御頭って、ちょっとだめな人でもいい気がしているのです。  

 根暗で、現実主義で、慎重派で、無口で、ハッキリした態度が取れなくても、

 操はきっと、それが蒼紫さま、って、受け入れてくれるんじゃないかしら。

 「生きてゆくなら~」では、ハッキリしない御頭に「あたしをどうしたいのよ」とやきもきする操を書いておいてなんですが、

 操は、ある意味では、御頭よりもずっと大人なんじゃないかな、と思っています。

 結ばれる前も、結ばれてからも、御頭がしょんぼりしちゃったときには、すぐそばまで駆け戻ってきて、御頭のそばで、「蒼紫さま、見て、ここに花が咲いてるよ」と、足元のたんぽぽとかを教えてくれるんじゃないかなあ。

 そうだったらいいなあ。

 

 

 それを幸せと言うんだ、って、御頭、気づいてくれないかなあ。

 そんな幸せを得るために、いろいろ、忘れていくんだよ、って。

 

 

 

 なーんて。

 

 

 ネップリ期間中に印刷してゲットしてくださった皆さま、ありがとうございました!

 一体何枚くらいプリントされたんだろう、と思って25日に見てみたら、キレイさっぱりデータが消えていて確認できませんでした! トホホ!

 

 私事ですが、4月から生活環境が変わるので、今後どんなペースでお話を書いたり、本を作ったりできるのか分からないんですね、 

 でもね、時間はどこかにあるだろうし、何があっても、どーせお話は書いているので(笑)、こういう楽しいことをね、色々やっていきたいですねっ。

 その際はぜひぜひ、おつきあいくださいな。

  あとあと、このお話に限らず、ご感想もお待ちしております。ふふ。(〃'▽'〃)