monaho

monahoって、エスペラントで、僧侶の意味なんですって。

「カウンタークロックワイズ1874」

 pixivに、「カウンタークロックワイズ1874」をアップしました。


 シリーズです。

 この記事を読むお供に、こちらをどうぞ。

 

     

 某所でお友だちから教えていただいた曲なのですが、

 きっと「運命」とかのあとがきでもリンクを貼った気がしますが、

 今もここに貼っておきます。

 しんどい。

 

 本編とは関係のない個人的なことですが、

 JiNSブルーライトカットの眼鏡を買いました。

 すっごく楽です。目が重くならない。最高。\\ ٩( ᐛ )و //

 ここを書いている今も掛けています。パソコンでしんどい方、ぜひ。

 

 さてさて改めて、

 1874年1月のお話でした。

 あとがきはボタンから。

 

 

 

 3つめである「クロックワイ」を書いているときに、ふと、「私、何やってるんだろう」と我に返りました。

 好きな人たちの最期を追いかけて、何やってるのか。

 色々と、誰がこうして、とか、こないだと辻褄合わせて、とかを、

 いつも通り一生懸命考えるのですが、

 考えれば考えるほど、しんどい。という。自分でやってんのに。

 読んでいただくのだって、楽しいお話じゃないですし。

 

 でもでも、去年の9月くらいから、このシリーズを書くことは決めていて。

 書きたいと思ったことを書く、のが元々のスタンスなんだから、

 ま~~~いいか! と振り切って割り切って、「クロックワイズ」をアップしました。

 

 ちょっとね、

 切ないお話を書くときは非情になるといい、と思っているのですが、

 非情になりきるには、ちょっと足りなかったかも。

 最期を追うことの、なんと苦しいことか。

 

 1月17日は、彼らの命日(諸説あり)です。

 チャンは気管支炎・肺炎あたりの病気がもと(諸説あり)で、未明に亡くなりました。

 エンは兄のあとを追って、その3時間後に亡くなりました。諸説あり。

 

 エンは病気をしていなかったそうです。

 チャンの病気の悪化は、病気そのもののタチの悪さに加え、お酒の量にも原因があったとか。彼、結構飲んでたんですって。

  けれど、チャンがどれだけ酒を飲んでも、エンは酔っ払わなかったらしいですし、

 チャンが肺を病んだからといって、エンまで具合が悪くなるということはなかったらしいです。

 ふしぎだね。くっついてるのに。

 

 17日の朝まで、エンは意識がはっきりしていたとか。

 じゃあ、17日の朝、エンを切り離してしまえばよかったんじゃない?

 ね。そんな気もしなくはないですね。

 今ならできるようです。たとえ結合部に肝臓がシェアされてても。医学的なことはよく分かってないので、肝臓どうすんの、というところは気になりますが。

 ほら、ベトナムのベトちゃんドクちゃんなんか、有名じゃないですか。

 ドクさん、日本料理店を開いたそうですね。

 

 ね。

 

 


 

 ある本に、「エンの死因は、恐怖だったのだ」という一文があったのが、

 どうしても忘れられません。

 恐怖。

 恐怖かあ。

 

 

 それでも、今のところ、チャンとエンが、結合双生児で最年長なんですよ。

 

 没後145年(!)になる人たちのことを、今、どう思っても仕方ないのかもしれませんけど、なんというか、こう、ね、

 好きだなあ、と改めて思います。

 

 何度も言うようですが、彼らについては、諸説あるのです。

 これはあくまでフィクションで、慶の一個人の想像に過ぎません。

 でも、これくらい仲間に囲まれていたら、仲良く楽しくやってくれていたらいいなあ。

 

 本当の彼らが、自分たちのことや、自分たちの境遇をどう思っていたかは、もう分かりませんが、

 たくさん色々大変だっただろうあの二人が、「グレイテスト・ショーマン」であんなに輝かしく描かれて、

 たくさんの人から「あの二人すごい!」「バク宙してる!」「実在なの!?」と驚かれたり称賛されたりしている、と思うと、

  ああ、好きだなあ、と改めて思うわけです。

 

 誰からも忘れられたときが2度目の死、なんてよく言いますが、

 そうだとしたら、チャンとエンは、そして彼らのお友だちも、

 まだみんなピンピンしてるのですね。

 きっとね。

 

 

 さて、

 このシリーズはこれで区切りです。

 今後もまた、思いつくままに、書きたいものを書くので、

 よろしければおつきあいくださいな!